☆エロ屋さんの戯言☆

長年エロ屋に関わっている自分の日常のあれこれや戯言を綴っています☆

入院のおもひでぽろぽろ⭐︎その2

面会謝絶で患者同士の交流はなかった。
これが自分にどういった影響があったのかは分からないが特に問題はなかった。もちろん他の患者とコミュニケーションが取れたらまた違った思い出ができていたとは思う。でも考え様によっては皆統一された環境でそれはそれで悪くはなかったのかなと、そうポジティブに考えよう。
もしかしたら看護師も見舞い人に何やら言われる事もなく業務に集中できる、なんて事もあったのかもしれない。

となると患者の世界は看護師と自分だけの世界になり、私はこの世界観の難しさを思い知った。
エロ屋の私は思う。アダルト業界の影響なのか看護師のイメージに邪な気持ちを持つ者もいてさぞかし迷惑であろう。優しい天使でお世話をしてくれる、しかもあくまで女性というイメージ。
看護師はもちろん男女関係なくあくまで看護の師なのだ。医療処置諸々を行うのが役割であり、サービス業ではないのだ。お話相手になって貰おうとか癒して貰おうとかプラスαの業務を期待するのはいかがなものかと私は思う。
そもそもそんなものは必要ない。何より私は看護師とコミュニケーションを取ったところで気持ちが晴れるわけではないと思う人間だ。
話したい人と話したいのであって、誰でも良いから聞いて欲しいという気持ちがそもそも私にはわからない。
さらには余計なコミュニケーションを取る中で看護師に何かマイナスな事を思ってしまったら、自身がしんどくなる。そんな一面をいちいち見つけない為にも必要事項以外の言葉は発さなかったし、その必要も感じなかった。
何よりも余計な態度を取って看護師に嫌われたらこの世界の終わりだと思っていた。
私の世界はとても狭くて、看護師に良い患者だと思われる事でしか自分を好きになれる方法が分からなかった。良い患者ってなんだよ、今思えば勘違いコミュ障というやつだ。

※いつもは否定的な感情はなるべく書かない様に(あくまでなるべくだが)気をつけているつもりですが、今回はそうではないので読み苦しい点もございます。

兎に角どこまで看護師に何をして貰えばよいのかが非常に難しかった。例えば自分で車椅子に乗る度に看護師にお願いして良いものか?テレビのリモコンを落としてしまい取ろうとしたらベットから落ちそうになった。かと言ってわざわざナースコールで呼んで「リモコン取って下さい」って言うのか?そういった微妙なラインが難しかった。
極力黙っていたいと思う割には、カーテン越しに聞こえてくる看護師と患者のちょっとした雑談が羨ましい。「昨日マジでしんどくて。てゆーか総回診苦手」「小川先生は確かにそうだよねぇ」いいなぁ…私もあんな風に自然に話せれば良いのに。
向かい側の女性は長期入院という事もあってか人柄なのかコミュニケーションも上手でいつも自然体で羨ましかった。私はわざとらしい口角を上げた話し方でしかいられない。気味が悪いよ。



⭐︎入院時に渡してくれます。ちょいとビビる。看護の目的と自分のワガママの違いとはなんぞや。しかし自分を取り繕うと逆に看護師に迷惑を掛けます。




私の血管は針を刺すのが難しく若い看護師を毎日困らせた。こうやって看護師は経験を積むのだから刺さらない事の苦痛はなかった。いや、痛いのだが。でもこれを乗り越える事も治療に必要な事だ。
でもただ何も言葉を発さず淡々と作業をされている様子に自分が機械のように感じる。もちろん謝って欲しい訳ではない。今起きている現状を把握したいだけなのだがそれを聞くのも余計な事なのかもしれない。
他の症状で気になる点を質問したが「わからない」との事だった。そしたら納得するしか術はない。
ならばもう笑顔で乗り切って自分に酔うしかない。
この看護師が悪いとかそういった訳ではないのだが、私はこの看護師の対応に毎日感化されては勝手に落ち込んだ。
そして今回の治療で一番学んだ事は、とにかく筋肉を維持する事と強い血管である事が要であるという事だ。体が不自由になるとどこに筋肉が足りないのかよく分かる。
動ける日は例え指一本でも動かしたり、密かに少しでも鍛えて何とか維持するようにした事は良かった点だと思う(そんな事をして余計なエネルギーを消費してはならない場合もあるので何とも言えないが)
血管が脆く点滴に違和感があったり薬剤が漏れたりすると、兎にも角にも闘えないので血管もかなり重要だ。しかし「血管に問題はない」と言われたもののなぜか私の血管はいつも困り続けていた。

そんな中、隣の患者の独り言と柔軟剤らしきにおいが私の中の黒いものを沸々とさせた。
え?いつも柔軟材のにおい強くないかい?それになんでわざわざ不満を声に出すのよ。感化させないでくれと耳栓をした。でも一晩中鳴るナースコールに「みんな大変なんだ」と違う角度でも感化される。
病気によっては大量の薬剤投与をする場合もある。それにより免疫力が低下した患者は無菌室で過ごす。無菌室の患者は静まり返った孤独なのだから、他者の影響を受けるだけ私は恵まれている、そう思った。
独り言の女性は翌日腹水が溜まりベットに寝たまま処置を受けていた。姿は見えないが物音だけでその大変さが伝わってきた。

もし私の何かしらが誰かの症状に触ったらと思うと、物音ひとつ鳴らしてはならないという気持ちになった。今日は寝れそうだという日も、もし自分がいびきでもかいて他の患者の気に障ったらと思うと寝てはいけないと思った。
かと言って別に辛いとかそういう事が言いたい訳でもなく、そういうものなんだと自然に納得する所は何についても私の強みだと思う。言って解決するものとしないものがある事を知っているつもりだ。自分の課題を解決できるのは自分である。
今流れている緩和薬剤は終わったら例え症状があっても4時間空けなければ使えないと説明を受けている。それにも関わらず症状を訴えた所で何になるのだ。
病院に求める事を理解していないとそうなるんだよ、看護師に向かって泣く隣の患者に対して私は冷たい。でもある時は釣られて涙が出る。

おそらく認知症か精神病と思わしきお婆ちゃんが毎日夜中に奇声を発しながら徘徊し「落ち着くお薬出すから戻りましょう」と看護師がなだめていた。
ある日夜中トイレに行った帰りにお婆ちゃんが部屋から出てきて私とすれ違った。目が合い緊張が走った瞬間「あらまぁ…若いのに…大丈夫?」なんて声を掛けられた。「え…あ…大丈夫です!」と答えた。
病室に戻って涙が出てきた。
どうかお婆ちゃんが無事退院できますように。
医師看護師を除いて言葉を交わした唯一の人だった。


⭐︎しかし完食はする。高熱だろうが何だろうが喰らい尽くし医師を驚かせた



書いていて思ったがやはり患者同士でコミュニケーションを取れたらまた違ったのかもしれない。相手の事を知ると許容は広がったりするものだ。ラクな人なんて1人もいないのだから。
前々から私は「なぜ自分だけがこんなめに」という言葉に否定的な人間だ。好きではない。
「自分だけ」そんな事は絶対にない。その言葉がピタリとくるのは世界で一例しかない人のみであると思っている。現場を見て改めてそう思った。
でもこんな事は絶対に他人がわざわざ本人に言ってはならないのは確かだ。これは自分だけに言う言葉。


⭐︎病院の夜は暗くて怖いと思いきや明るかったです。ホッ。こんなにはっきり手が見えるぐらいです。




話は前後するがある日今回の事を話した2人のうちの1人、看護師の知人(伊藤さん)を思い出した。
相変わらず今日も血管と点滴の相性が悪いが看護師いわく「問題なく刺さっている」との事。それでもこの点滴の不具合がなぜだか知りたくて伊藤さんにメールしようかと悩む。伊藤さんに自分から連絡をするのは初めてだったこともあり戸惑う。内容もYahoo知恵袋かよ!のようなものだったもので。
なぜここの看護師に聞かないのか私よ。でも伊藤さんになら聞ける。よくわからん奴だ。
私は私が勝手に定義した信頼関係がないと何も聞けない。伊藤さんとはそれがある。深く詮索する人ではなくフラットなまま気にかけてくれると私は思っているのだ。私達にはどんなに親しくなってもピリッとした空気があり、自分の都合だけで計らわない。
お互いが精神的に自立している居心地の良さと、少しばかりグダッとしたバランスの良さを理解している(と思う)だから連絡しよう。
何より伊藤さんは看護師として絶対にプロフェッショナルな人だと私は勝手に知っている。
現場を見ていない伊藤さんに教えて貰うのは無理があるとは思うが、担当の看護師より聞きたい人なのは間違いない。

伊藤さんは忙しい中丁寧に返信をくれた。
専門的で私の人間性を気遣って選んでくれたシンプルな文章にありがとうしか返せない。
伊藤さんが実際に現場を見たらまた違う答えだったのかもしれないが、そんな事よりも医学的な回答が貰えた事が有り難かった。
ふと私は以前「これだけコミュニケーションのツールが増えた世の中で、それでも身近な人とコミュニケーションを取る必要性とは何か?」を伊藤さんと話した事を思い出した。
今やあらゆるサイトやSNSだの世界中の人達とコミュニケーションを取り、わからない事はなんでも質問できる。でも私はそのようなツールが苦手だ。今までその理由を具体化して説明するのが難しかったのだが、今回の事であの時伊藤さんが言っていた意味を改めて理解した。
そこには極論しかないから。
二極化された答えの中には無限に細分化された答えがあるはずだ。それは相手を知っているから無限に広がる。その人が好きな言葉、嫌いな表現、口調、相手の歴史を知らずしてその答えは出ないのだ。
「若い、若くない」「かわいい、かわいくない」二極化で分けられる業界で昔は随分と翻弄していた。

でも細分化した自分を見つけ出し合う事で、歳を重ねるごとに大切にしてくれる人達が増えていった。すでにその内容は20年前を題材にした過去ブログ「歌舞伎町生態系バランス」に書いたのに今さらテーマ戻るんかい。

ああ…そうか…。私は看護師に自分を知って貰う事も看護師の人間性を知る事もしなかったのだから、そりゃあ答えは二極化しかないのは当然だった。

私が変わらなければずっとずっとこのままだ。
伊藤さんは「担当の看護師に聞いたら?」とは言わなかった。その心遣いに感謝しかない。


⭐︎その昔献血に行った時「この血はいつなくなりますか?」と聞いたら「明日にはもうないよ、毎日毎日足りないんだよ」と教えて貰った事を思い出しました。
私の血液も誰かの助けになっていると嬉しい。
何より私が感謝です。



⭐︎輸血なり手術なりきちんと説明を受けて承諾書を書きました。

手術室までドラマみたいにストレッチャーでガラガラ運ばれるのかな?なんてワクワクしていたら違った。ふっつーに歩いて直接手術室に入り自分でベットに横になりました。
おかげでリアルな手術室が見れました。大きなモニターやら麻酔科医(私はドラマ「風のガーデン中井貴一さんの影響で麻酔科医によく分からない憧れを抱いている)を拝見できて照れました。
承諾書って何事もビビってしまう。



⭐︎風のガーデン 
2008年に放送していたドラマ。家族と絶縁していた主人公の麻酔科医が死を目前に再び家族と接触する。生と死、対極にあるテーマをまとめ上げ一本化するような構成と中井貴一さんが魅力的。
ちなみに子供の障害に病んだ妻が自殺した日に不倫をしていた男です。「北の国から」の倉本聰の作品なので音楽と風景も素晴らしや。ロケ地は富良野







ある日の夜、床にテレビのリモコンを落としたまま拾えずうつ伏せになっていた。
夜勤のベテランらしき看護師が挨拶に来た。「夜勤に入ります中村です」初めて会う看護師さんだ…「よろしくお願いします」とりあえずの笑顔で挨拶をした。「…浅井さん言ってよ〜」床に落ちてあるリモコンを拾って渡してくれた。
「私もあなたと同じ病気になった事があるのよ」
私は何事も同じ経験をしたという言葉を聞くと身構える。自分の話にすり替えられたりしてつまらない雰囲気になるのではないかと警戒をする。
でも看護師は何も言わなかった。ただその表情で「でも今こんなに元気に働いてるんだよ」と伝えてくれた気がした。
「ん〜と、手元にスマホはある?テレビの位置もオッケー?お水は手元にある?」
手慣れた圧倒的な雰囲気と安心感に私は表情が固まり言葉が出なくなってしまった。
「あ、点滴終わってるね。血液が逆流するのは圧が掛かってるのとバッチリ血管に刺さってるから」
ガチャガチャと空になった点滴を交換しながら教えてくれた。
⭐︎こういう状態。看護師は忙しいので点滴が終わるタイミングで必ず来れるわけではありません。点滴が終わったら自分でナースコールをしないとこうなります。なる度にいつもビビっていました。血の色がリアルなので加工しました。



⭐︎水分をとって良いかはここで判断




「点滴長いと疲れるでしょ?この薬とこの薬は一緒に流せないからこうやって別々になるんだよ。だから時間が掛かるの。かと言って早く薬剤を入れると負担がかかって血管が痛くなることもあるし、薬剤と体温の差でも冷たかったり痛くなるよ」
伊藤さんも言ってたな…看護師は点滴の勢いを緩めてくれた。
「症状苦しいでしょ?4時間空けなきゃいけないから我慢するしかないと思った?」
「あ…はい」
「使える薬剤があるかもしれない。辛い時は聞いて。ちゃんと繋いで先生に相談するのが私達の役割だから。夜勤の先生に聞いてみるよ」

やはり自分が間違っていたと思った。
この人達は皆国家試験を受けて現場を経験しているプロフェッショナルなんだ。
私が変わらなければ何も知る事はできない。快適な入院生活なんて有り得ない。
私は子供の頃、納得ができないと何もできない子供で幼稚園の先生をよく困らせていた。騒ぐわけでも不満を言う訳でもなかったが、集団で絵を描くとか何か作る事に理解ができないとシレッと脱走をしていた。しかし集中をすると一歩も動けなくなった。遠足も楽しみではなく、どこにどれぐらい時間が掛かって何をするのかが明確ではないと不安だった。
大人になってデートをしても予期せぬ事やサプライズに対して喜んだふりをするだけで自己満足としか捉えられなかった。今でもセックスすると決まっている日しかしたくない人間だ。イチャイチャの延長にあるものだとは思えない。だからあらかじめ日時が決まっている性のパートナーとの方が気楽なのだ。私という人間は恋人や妻として本当にお薦めできない。ちなみに愛人としては非常に推せる。かなり優秀だ。
動物はお腹が空いたら狩りをするのに、なぜ人間の社会は3食でだいたいの時間も決められているのだ。自分のタイミングで必要な回数をいただきたい。そんな私は633制度に疑問を持ちつつも、落第制度があったら間違いなく落第するタイプだ。


つまるところ私は社会に適応できない者である。
フリだけでよく会社勤めができているなと不思議に思う。
厄介な人間ではあるがでもそれが自分の気質なんだと知ってからは快適だった。何に適性があって不適合なのかを知って行動すれば良い。大人は自分で選択できるのだ。大人とは気楽だ。自分でものを言い、伝えて調べてコミュニケーションを取る事で大体の事は解決する。解決しない事は諦めて自分で自分の機嫌を取れば良い。それが許される環境、有難い。
そんな事はとっくに知っていたはずなのに何を振り出しに戻っていたのだろう。
こんな短い時期で今までの事をフイにしてしまうなんて私なんなん?であった。
あの時の看護師さん、伊藤さんありがとう。




まきまい




おそらく次回で最後かしら。
看護師から学んだエロ屋として役立てたい事などなど、です。内容よりもエロ写真を期待しとる猛者、ちょいと待っとれドスケベが!!
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