☆エロ屋さんの戯言☆

長年エロ屋に関わっている自分の日常のあれこれや戯言を綴っています☆

源氏名を愛する理由

小学生の頃、姉が離れた大学病院で3年ほど怪我の治療を受けていた為、私は祖母の元に預けられていた。妹はまだ小さかった為母の元で過ごしていた。

祖母の住む村はかなりの田舎で、生徒の数は数十人。2学年毎に同じ授業を受けていた。
そんなこんなの村に金村さんという女の子が転入してきた。こんな田舎に転入生とは珍しい。しかも標準語で話すなんて、なんておしゃれなんだろう。
ある日、私は仲の良かった優子ちゃんと一緒に金村さんの家に遊びに行く事になった。
金村さんの家は古いトタン屋根の平屋だった。
トタンの亜鉛メッキの鋼板の匂いは、大好きな鍛冶屋さんと同じだ。私はなんだか親近感が湧いた。
金村さんは「お母さんまだ帰ってきてないみたい」と言い私達を居間に通してくれた。
居間のタンスの上に飾ってある家族写真らしきものが目に止まった時だった。
玄関から金村さんのお母さんが帰ってきたらしい。
私達の靴を見ての事か凄い勢いで居間まで来ると、慌てた様子で飾ってある家族写真を伏せた。
「こ…こんにちは…お…じゃましています」
ただごとではない様子に金村さんは「明日学校でね」と言ってきたので、私と優子ちゃんは返事をして家を出た。

「金村さんのお母さんなんじゃったん?」「わからんけどびっくりしたね」「まきちゃん写真見た?」「うん…」「ウチも見たよ」それ以上は特に2人とも何も話さなかった。

姉のお見舞いに行ける月に1度だけ母と話す事ができた。私は先日の金村さんの話をした。
写真の金村さん達はお雛様の三人官女のような派手な着物を着ていた事も話した。この頃は今と違って情報が少なかった為、それがどういったものなのか分からなかった。そしてなぜ金村さん達があの村に来たのかも分からなかった。
「それチマチョゴリだよ。韓国か朝鮮の人が着るやつよ。日本でいう着物だよ。外国の友達ができて良かったね」と母に言われて、私は金村さんが日本人ではない事を知った。
歴史なんてちっとも分からなかった私はそうなんだぐらいにしか思わなかったが、祖母の店の「お断り」の張り紙の内容がよぎり、これは人には言ってはいけないことなのではないかと思った。それはただなんとなく。
 
母は帰り際に「お父さんのフィリピン人の恋人に子供が生まれたから弟ができたんよ。金村さんも弟も外国の血だね。楽しくなるよ」と嬉しそうに言った。この時の母の言葉は私の人格形成に少なからず影響を及ぼしたのではないかと思う。たぶんそれは良い方向に(その弟とはお正月の限定ブログで晒したJである)
 
 
 
 
帰り道、私は数年前に出会ったお兄さんの事を考えていた。
幼稚園や学校を度々脱走していた私は、近くの高校によく潜り込んで隠れていた。金網の向こう側は野球のユニフォーム姿で埋まっていた。ユニフォームというか練習着なのだが。
ある日の夕方の練習前。そこにいたお兄さんは、ふとこちらに気付き近くまで来ると何かを投げてくれた。泥だらけのミニカーがなぜか校庭に落ちていたらしい。
かなり高さのある金網を超えて円弧を残すミニカーは圧巻だった。他の生徒に呼ばれていた名前とマジックで胸元に書かれた字を記憶して、家に帰って紙に書き残しておいた。こんな田舎にも凄い人がいるんだ。
その後脱走を繰り返してはお兄さんを探したが、100人以上いる野球部員からは捜し出す事ができなかった。いよいよ校庭まで忍び込み、大きな石段に座りお兄さんを探した。ここまで来るとおそらくあの人ではないだろうか?と目星が付く。
甲子園の時期になると千羽鶴を送る習慣がこの町にはあった。私はひそかにお兄さんの名前を鶴の羽に書いて送った。あの時の事を書いたことろで本人が見てくれるわけはないと分かってはいたが。
 
 
 
 
 
ある日学校に行くと金村さんの机を数人の男子生徒が囲っていた。
「おまえ、朝鮮人なんか?ワシのばあちゃんが言っとったんじゃけど」「ワレ答えてみんさいや」
小さな田舎だ。なぜか金村さんの事情はすでに広まっていた。金村さんは黙って下を向いていた。
「ワレ、ウチらと同じじゃないんじゃろ?」
私は何もできず見てみないフリをした。火の粉が来ない様に。そして言ったのは私でもないし母でもないし優子ちゃんでもない、と思う事しかできなかった。
ちょうどその時先生が教室に入ってきて事の重大さに気付き、男子生徒を怒鳴りつけた後朝の会(懐かしい)を始めた。
 
「金村さんは私達と同じです。私達日本人と何も変わりません」
 
その日を最後に金村さんは学校に来なくなり、数週間後に転校してしまった。優子ちゃんと金村さんの家に慌てて行ったが、もちろんすでに金村さんはいない。取り壊しが決まったトタン屋根の家はロープで囲まれていた。全てが今さらだった。
 
 
 
 
 
数年後、私は高校生になりラーメン屋でバイトを始めた。そこで同世代の女の子と仲良くなった。
ある日ミスタードーナツって知っているか?という話になり、私達は遥々ミスドに向かった。
甘味処は普段話せない様な事も話してしまう女子の不思議な聖地であった。
「まきちゃん。私実は朝鮮人なんよ。この辺りは多いんよ」「ええ?そうなん?知らんかった!」
私はふと金村さんの事を思い出した。もちろんこの女の子は金村さんではないが、あの時いなくなってしまった理由を知りたくて話を聞いてもらった。
私達はあの時どうすれば良かったのだろう。私は何を言えば良かったのか。しかしそれが知りたいのというのは建前で、本当は勝手な懺悔のつもりだ。今話せば許されるような気がした。
「そっかー…それは私ももう学校行かんかも」
「そうだよね…」やはり先生も含め皆が間違っていた。黙ってしまった私を手引いてくれるかのように彼女は話し始めた。
「まぁ難しいよね。悪気ないんだしね。今は…本名は?って聞いて貰えたら私は嬉しい。一緒の時は本名で呼ばれたい。私はソヒョン。実は私繁華街で夜の仕事しとるんよ。17歳でも働けるんよ。そこは外国人ばっかりじゃからみんな本名で呼び合っとる。まきちゃんもソヒョンって呼んで!」
 
 
 
 
帰り道なぜか涙が出てきた。
彼女を承認してくれるのは夜の街。
私は彼女を不憫に思っているのだろうか?それともあの時の罪悪感なのか。はたまた彼女に話した事で禊になったとでも思っての事なのかは分からない。ただ私には「浅井真紀」という名前があるのだと思いながらぼんやりと路面電車から見える繁華街を眺めた。
やはり私達と金村さんは同じではなかった。ソヒョンも同じではない。
「金村さんは私達と同じです。私達日本人と何も変わりません」
私達は同じではないのだ。でも彼女達は決して私達に守られるべき社会的弱者でもない。彼女達を弱者に仕立て上げる私の見下げ果てた涙は、なんと胡散くさいのだろう。
もう知らん。寄り道したる。私はソヒョンが働いている繁華街を抜けて、広島市民球場で当日券を買った。
ソヒョンも好きだと言っていたお兄さんと言うにはとうに似つかわしくなくなった彼は、今では私が見つけ出す手間もなくテレビを点ければ簡単に見つけられる。
それでも地面を跳ねるボールに観客から「帰れ!チョ◯が!!」と無情な野次が飛ぶ。続けて次々と口々に好き勝手な言葉が飛んできては行き来する。
私はただ悲しいだけで、あの時の金村さんの気持ちのほんの少しも分からない。
お兄さんはあの時からずっとスターなのに。あんな田舎からやっと広い世界に出れたかと思ったのに。
人のアイデンティティを構成するものを壊す事が、一部の人にとんでもない享楽の波を起こす。それはどこに行ってもどんな時代でも、何より相手がどんなに優れようと変わらない。
 
 
 
 
数年後、東京に出てきた私は源氏名で働いていた。
本名を持ちながら、本名で呼ばれない世界に人生の半分以上身を置く事になろうとは、あの頃の私には推測するにも余りにも根拠がなかった。それぐらい素朴な日常で平和だった。
しかし今ではすっかり源氏名が愛しい。本名より私を助けてくれた存在かもしれない源氏名が大切だ。
数々の名前を自分に付けたが「まき」「まい」の名は群を抜いて私本人が受けるに値しないほど愛しいものになった。それはきっとたくさんの人に認められ、愛して貰ったからに違いない。
 
この名はここ以外では、どこで何をするとしても使わないと決めている。私にとってこの名前を名乗るのはあの時が最後で、あの時にいただいた真紀真依ブランド(そんなものはないが)は籍を置く場では遺却した。さようなら真紀真依。
よく本名を聞かれる事があるが本名を教える事には抵抗はない。しかし知られる事によって源氏名で呼んで貰えなくなる事が寂しいのだ。
私は芸能人でも何者でもないが彼らが本名を公表しているからと言って、その名で呼んで欲しいと言っているわけではないように。
本名を知る事でまたは呼ぶ事で親近感や優越感が湧き、相手との距離を縮め特別感が出るという心情は相手の都合で、私にとってはむしろ逆である。
貴方の前では私は疑わしさがないほどに真紀真依なのだから。
 
そう思えるのは私には本名があり、そこには全ての「本当」が存在しているから。国籍はもちろんのこと公に証明できる全てがあるから。
歌舞伎町で会ったとある女の子は戸籍すらなかった。あの子は法的にはこの世に存在していなかった。「私の全てはここにしかないから」と言っていた彼女の言葉が忘れられない。
私はきっと生涯、あの子とも金村さんともソヒョンとも分かり合える日は来ない。そしてかつて好きだった恋人の気持ちも分からない。
あの時に彼と国籍を変える決心がつかなかったのは、例え書類上での変化でも大切な人達とのご縁が無くなってしまう気がしたから。それは私にとっては彼よりも大切にしたいものだった。
民族的偏見を向けられることなく小さな島国で日本人として生まれ、当たり前に本名を持ち挙句好き好んで源氏名を名乗る私には、彼女達の気持ちを知り得る事はできない。
結局のところ私は源氏名で呼んで貰えることで、都合良く事が進んでいく恵まれた本当を思い知る事ができるのだと思う。
 
今でもあの時のお兄さんを見る度に金村さんとソヒョンを思い出す。飾りっ気もなく自分の身の上話をする彼女はとても魅力的であった。彼女達は幸せにしているだろうか。日本にいるのだろうか。
どちらであっても敢えて好き好んで偽名を名乗りたがる正反対の私の話にも、彼女達は耳を傾けてくれる気がしてならない。
私は今もイイ年して時には「まいちゃん」「まきちゃん」なんてちゃん付けで呼ばれては、浮き立つ思いに嬉しくて照れ笑いしてしまうのだ。
 
 
 
 
 
まきまい
 
 
 
 
 
 
この名を呼んでくれる貴方にお礼を申し上げます。ありがとうです(*´∀`*)
*現在本名で呼び合っている貴方にお辞めになってって意味ではないのよ念のため。
そして今回の内容は場合によっては色々プライバシーが割れるので頃合いを見て一部削除します。
 
 
 
 
 
 
次回はこんな事して過ごしていました。です。
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フォロワーさんに「この女性を見てまきちゃんを思い出します」と言われて嬉しくなりました。
うれしいー!ありがとう!