☆エロ屋さんの戯言☆

長年エロ屋に関わっている自分の日常のあれこれや戯言を綴っています☆

お久しぶりです


お久しぶりです。

みなさまはいかがお過ごしでしょうか?
諸事情により長い間ブログを更新していませんでしたが、ご訪問下さりありがとうございます。
私は実家に帰ったり、仕事をしたり休んだり、少し離れた場所にいたりしながら生きています。労りを第一に考えた生活を送っています。
私は私と関わってくれる人を幸せにしたいので、これからも自分を大切に生きていきたいと思います。
貴方も今日まで平穏な日常を送っている事を願います。


先日をもってTwitter(Xだっけ)のアカウントを削除しました。フォローしてくれた方、見てくれた方、ありがとうございました。
ブログ含めSNSを始める時…いや、もっと前だ。公に何かを書くと決めた時に、大切な心構えを持ちました。
人様の意見を非難しない。「辛い」や「嫌い」という言葉は使わない、なるべくマイナスな感情は書かない、書きたい時は感情任せにせずに知的にさわやかに笑 
そして一番大切にしている事は、その場の感情を簡単に吐露しない。少なくとも数週間〜内容によっては数年に渡ってよく考えてから発信する、です。

これまでのブログを読んで私の心身を気遣ってくれた人は、それは私の直接的な言葉からではなく、貴方が深く読み取ろうとしてくれた優しさからくるものだと思います。お気持ちをありがとう。
それらを踏まえた上でブログを更新しました。
愛を込めて敢えて書かせて頂くと、私達は可笑しく滑稽な関係だと思います。
事情を込み入りながら長い間考えた結果、私はそれを愛しいものだと感じています。
その結果こうしてフラッと現れてしまいました。

私は「役割」を果たしていたからそれなりの価値を認めてもらい、選んで貰っていただけの存在です。
本当にただそれだけの人間です。
決して投げやりな意味ではないですよ。私はそんな私が好きですから。
事実それをしない私に好意を持ってもらう事はとても難しかったと思いますし、もし今でも私に会いたいと思ってくれる人がいるとしたらそれは「個」としてではなく「役割」を果たす私に、だと思います。
そこに対価の有無は関係なくです。
例え「個」に興味を持ってくれたとしても求めるものは、やはり「役割」なのだと思います。それはきっと無意識のうちに。決してそう思わせず自然な形で熟されたいのだと思います。
「役割」とは決して性的な事を期待されるという意味ではありません。そもそも性的な行いだけが自分の役割だと思って働いてはいませんでしたから。
そしてお仕事として御依頼を頂く事への嘆きではありません。今でもそう思って下さる方がいる事はとても有り難いことです。



私は普通社会に突っ込みながらではありますが、約四半世紀の間、性とサービス業の「サービス」を売り物にしてきた人間です。
なのでそもそも「性とサービス」を売り物にしていた立場の人間が、それ以外の事を優先に印象付けようなんて、飯島愛さんでもない限り生物学上とても困難だという事は重々承知。
例え本人がどう足掻こうとも無理なお話なのが現実です。
少し前に韓国人の性的に魅力的な女性DJが日本で観客に体を触られたとの事で、一部で議論になりましたね。こんな事は日本公演だけだったとかなんとか。
認める認めない悪い悪くないはとりあえず別として、性的な印象を与えた者と捉えた者の正直な現象なのだと思います。

私が書く内容がどのようなものであっても、一部の人には理解をして貰えない事や性的な思考に直結される事、または性的な画像を期待される事は当然です。
それも私が大切にしてきた歴史の上で起きている事です。
私は私の意思で好きな文を書き、載せたい写真を載せています。相手してくれてありがとうです。
なので性的な事への期待を嘆くほど、私はおバカさんではございません笑
そもそも読んで貰える事自体が有難い事であり、その中で何を主に受け取るかは読み手の自由だというのはもちろんです。だからきっと悲しい事ではないはずです。





「役割」を求められると言っている私。では私はというと何をお相手に考えているのでしょう。
この場の使い方としては、過ぎた過去に自分を評価してくれていたお気持ちに甘え、他所行き用の姿でかっこつけながらも吐露吐露とやりたい放題に書くわけです。それなのにだいたいの事は許して貰ってきました。寛容な心に守られてきました。
そして対面ではというと自己陶酔含め役割にも酔い、お互いの存在証明ができたかどうかをいちいち判断するわけです。
でも結局のところ対価が発生しない状況下では、役割を果たす事はしたくないできない人間。という事に気付くのです。
そうでしか関係を持てないのです。それが私達が築き上げてきた関係です。
実物を存じていない方、知っている方の中にも温かく私の駄文を見守ってくれる方、私から貴方にできる事は何もないと知りながらも、それでも愛を持ってくれる方達の存在は、もちろん忘れていません。なので全てがそうだとは言いません。
せっかく読んでいたのに何?ですよね。
 

性産業というサービス業に就いた所で特に失ったものなんてないよな、なんて考えていた私ですが、失ったものは当たり前に構築できるはずの人間関係でした。
それはとてもとても大きなものでした。 
ただ私は失う=必ずしも悲しいだとかマイナスだとは思いません。
サービス業として2人きりで過ごす関係は、そうでない人間が築ける自然な親和関係からは遠ざかってしまい、その後お互いが無条件には愛を与えられなくなります。
だからこそ心身を吐露させたり自己開示できたり、時にはとても大きく心の繋がりも強固になるものだとも思います。
その関係が終わった後でも、お互いが無意識のうちに少しばかり高い所から自分に相応しいものかどうかと吟味し合っている事でしょう。
これは何も特別な関係でも歪んでいるわけでもなく、もしかしたらだいたいの人間関係はそうやって成り立っているのかもしれません。

私はこの関係に気付き様々な事情や時間を経て散々自分の中で反芻を重ねた結果、愛しく思っています。
この文章を読んで、意味が分からない、もう私とは関わりたくない読みたくないと思う人もいることでしょう。
ただ「何を言っているか読解はできないけどなんとなく不快に感じた」だとしたら残念です。
でも、そういった方には今日までのお付き合いにお礼を申し上げます。本当だったらあの時終わっていた関係を今日まで大切にしてくれてありがとう。
私との関係はここで失礼させて頂きますが、幸せでいて下さいね。
貴方が関わっていたかった私は、あくまで役割を果たす私であり、個ではない私だったのでしょう。
ただ、対価が発生している時の私とそうでない私の人間性に違いはないという事だけは伝えさせて頂きます。


私が人様と無償のお付き合いで求めるものは、お互いの人柄や話に触れたり、興味を持ち合って考え方を深めたり、今よりももっとたくさんの事を相手から学びながら大切に思う事です。
きちんとお互いが会話やその空間に参加し合っている状態を作る事です。
お互いの会話を拡張し合えるコミュニケーション能力を持つ事。その割合が過度に偏る関係は求めていません。
私だけが相手を頼る関係も求めていません。
なので私にも大いにこれを課して貰いたいです。
偉そうに聞こえるかもしれませんが、これは1人のヒト科のメスとして当たり前のお付き合いだと思います。
なぜなら自己容認を他人に頼りすぎる行為は、破滅しかないと知っているからです。
思うわけではなく、身を持って知っているからです。

元来私は計算高くしたたかな女性です。
それでも私は何に形容しようと小っ恥ずかしいこの関係をとても愛しく思っています。
これからも私との関係を大切に思ってくれる方には深くお礼を申し上げます。
ありがとう。




まきまい







せっかく久々にまともに更新したのに楽しい内容ではなかったですが、読んで下さりありがとうございます。
次回は楽しい内容にしたいと思います♪
ご興味あるよのお方はぜひいらして下さい。