☆エロ屋さんの戯言☆

長年エロ屋に関わっている自分の日常のあれこれや戯言を綴っています☆

続き⭐︎これで終わり

お墓の力は凄い。「やっと会えた!」と思わせてくれたのだから凄い。仏教に信仰心のない私でさえそう思った。
でも不思議なものでいざ会えたと思うと、思っていた事は何一つ言う気にはなれなかった。
早く会いに行かなかった後悔とか、体調悪かったならなんでもっと早く言ってくれなかったんだとか、もっと会いたかったとか。
それ全部私主体でしかないもの。
会いに行かなかったのは私で、私に話さなかったのは坂口さんの選択だ。これからも会いたかったなんて言われたって困るだろうよ。どうしようもない事を言って困らせてはいけないのは生前と同じだ。
私は坂口さんの前では良い子でそんな自分が心地良かったのだ。生きている者は相手が亡くなった途端にわがままを言いがちになってしまう。
勝手に仏様のように拝み、すがる。
それは築き上げた関係を壊してしまうようで嫌だ。

坂口さんは人様から見ればお天道様の下で生きた人ではなかったかもしれないけど、緩和治療もせず誰にも言わずただひたすら悪化して行く病状に黙って向き合うなんて、そんなの超人的過ぎる。
人の言う事は聞かない、ならば頼らない美学をこんな形ですら体現してしまうなんて。貴方のチンピラ道はもう何も言わせまい。だから言いたいことなんて何も無くなってしまった。坂口さんの最期に敬意だけを込めて手を合わせた。



持ってきた線香を立てて、猫の形をしたチョコレートを箱から出してそっと置いた。
スピリチュアルな知人が「御供物は生きている人が一緒に食べることによって、亡くなった人も食べることができる」と言っていたのを思い出した。
ならば残りはここでいただくとしましょう。私は残りのチョコレートをモグモグと食べ始めた。
え?いいのこれ?本当にあってる?もの凄く罰当たりな事してないかい。坂口さん食べれてる?
ただの盛り土には坂口さんの好きだった甘い食べ物や飲み物がたくさん供えてあった。線香が刺さり過ぎて針山みたいになっている。地獄に行ったかと思うぐらいで笑ってしまうよ。
私は何か勘違いをしていた。
もし坂口さんの遺骨に引き取り人がいなくて、自治体のどこかに保管していずれ処分されてしまうなら、私が引き取りに行こうと思っていた。その後の事も考えていた。
でも私がそんなお節介を焼かなくたって坂口さんはこうして無事に土に入っている。私が何かする必要なんて何もない。分かってはいたけど、やはり凄いな。
塔婆の戒名には坂口さんの名前が入っていたが、全然分かってないよ坂口さんのこと。そりゃ無理もないよな、知らない人だもの。となんだかよくわからない涙が出てきた。


でもちゃんと笑顔でお墓を出た。人様との別れ際に満面の笑みで挨拶をするのは私のモットーだ。
人はいつ会えなくなるか分からない。最後に見た私の顔が仏頂面だったら申し訳ないから。
でもこうやってもう会えなくなってしまった人でも変わらない…ってことはいつも会えた事が別れ際まで嬉しいから、理屈ではなくてだだ自然に笑ってしまうのだな。
おや?仏頂面…漢字で書くと凄く神々しくないかい?仏の頂きの面ですよ。ってどんな面構えだよ。とりあえずめちゃくちゃ有難い顔なのではないか。今度からはそうしようかしら。




仏頂面について調べてみました。仏頂尊という仏様の顔は知恵と威厳に満ちているが不機嫌そうにも見える事から仏頂面というらしい。
ちなみに仏頂尊はちびまるこちゃんに出てくる妖怪ひょうすべの真顔だと思いました。

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*ひょうすべ

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私は亡くなった人に対してドライな人間だと思う。
でも誤解はされたくないというややこしい人間だ。
何があっても共倒れせずに私は生きなければならないから、それが例え自死であってもその目的にあった道理ともならない道理を探して繋いで、納得させる術を使うようにしている。残されたものはそうするしかないから。
でないと一方的で感情的な言葉ばかり出てきてしまう。亡くなった人は何も言い返せないのだ。
祖父は自宅の物置で首を吊って自死した。
残された遺書を読んで、自死ではなく「勇退」だったと思う事で自分を納得させた。
「そんな死があるわけない!!」と随分と言われたが、私が共倒れせず生きる為には必要な解釈だった。
いつもいつも残された者は無理矢理にでも何もかもこじつけて、亡くなった人から見たら滑稽な生き物かもしれない。

生きている者とはなんとも身勝手で自由だ。
意思表示ができないのを良いことに、今回私は坂口さんの意に反する事をたくさんしたかもしれない。うん、した。でも愛されたものの宿命だと思っておくれ。ごめんよ。と言う事で何らかの形で関係者に見つかったら怒られそうなので、1〜3話は念の為そのうち削除する予定でいる。
この話の内容はだいぶ前の出来事である。
月日が経って価値観にも変化が出てきた。そのお陰で客観的に文章にする事ができている。
私は数年前に書いたブログに「自分が病気になろうが亡くなろうが知らなくて良い」という趣旨の内容を書いたことがある(覚えて下さっている方は猛者過ぎます。ありがとうございます!)どこか自分は偶像でいたいというイタい憧れみたいなものがあったのかもしれない。良い状態のままで記憶のどこかに置いてくれるのが本望であった。

しかし私に何かあったとして、もしその事実を愛故に知りたい人がいたら私に拒否権はないのだ。それが愛情でも詮索であっても、その人がしたい事を止める事はできない。仮に憶測で何かを思われても言われても仕方ない。
そしてマズい事までバレかねない。私のような人間は叩けば埃が出まくるのだ。
もし私のルーツを探られたら、歴代の性のパートナーまで炙り出されるかもしれない。マジで迷惑が掛かる可能性がある。いつか彼らについてコソコソと書こうとしてるが、あんな事やそんな事まで知られてはならんのだ。
葬儀屋セミナーで知り会った初代性パの納棺師とか、開業先まで追いかけた歯医者さんに顔射、おしっこ掛けられて結膜炎になったとかメイド喫茶のお客さんにエネマグラ入れたままピアノを弾いて貰ったとか、天才マルチプレーヤーの性パの絶倫プレイとか、一目惚れした自営業の加瀬さん50代の個人情報を盗んでアプローチしてあんなことやそんなことや…マズい…バレたらマズいぞ!!

いや、そういう問題ではないのだ。
私の最期についてそこまでしてくれる人がいるなら手間は取らせまい。
なのでもしもの時は最も信頼している人に何らかの形で発信して貰うように頼もう。本当の事は自ら伝えよう。「終活」という言葉に縁起でもないとか漠然とネガティブなイメージを持っていたが、終活とは自分と他人のプライバシーを守る行いかもしれない。
と思うようになったきっかけがもうひとつあるのだが、重たい話が続いてしまうのでまた頃合いを見て書こうと思う。





この世には亡くなった人の為とは言え、この世の人達の為のものがたくさんある。
四十九日を超えた頃にさらにその意味を思うようになった。あの世で仏になる為の裁判の判決が出るまでの期間で、生きている者は喪に服すとも言うが、これは魂の供養とかこつけて、大切な人を失った心を守る為に必要な最低限の期間を意味しているのではないかと感じた。
「自分の心を守る為には最低でもそれだけの時間は要しなさい」という大切な時間だ。
この間祝い事や祭り事を控えるとは裏を返せば、無理をして心を騙そうとするなと言う事ではないだろうか。楽しもうなんて思わなくて良い、自分の心に向き合い悲しみ、自分の正直な気持ちに向き合う時期を見過ごしてはならない、という意味もあるのだと思う。
私は何も無かったように平常心や日常を保つ事が自分を見失わず守る方法だと思って生きてきたが、それは少し違った。
故人に向ける行いとは、本当は一体誰の為なのだろう。結局のところ宗教とは生きている者の救済論だ。



時間の経過と共に私にとって心を整理をする方法のひとつは書くことであったらしい。付き合って下さった方々にはお礼を申し上げたい。ありがとうございます。

私は坂口さんの死によって死生観と言ったら大袈裟だが、何やら確固たるものを大きく変えられてしまったのは予想外ではあった。しかし幸せの形や価値観とは日々変わっていくから歳を重ねる事が楽しい。
そして今回書いた事により、ひとつだけ坂口さんに言い忘れた事があると気付いた。「プレイで回収するから」と言って渡した多めのお支払い、回収できていないのですが。返せ〜。

それにしても坂口さんの選択と最期については、不謹慎な表現ではあるが、かつての私から見たら完璧過ぎた。

あの町は私にとってまたひとつ印象深い大切な場所になってしまった。そして私の価値観を変えた事がもうひとつある。
もちろん随分前から決めていた事ではあるが、私があの町に戻る事は二度とない。あの町で働き、また誰かと有難い関係を築き上げることは二度とない。
それが厄介ごとを全部ひっくるめて私を拾ってくれた坂口さんへの、私なりの敬意なのだと思う。






まきまい











もちろん最後のお別れを言いに来てくれたお客様に対しての気持ちでもあります。どこでどんな活動をしても、私はあの町には戻りません。
読んで下さりありがとうございます。
次回は身近なエロを見つけよう、ひたすら書く、です。
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