☆エロ屋さんの戯言☆

長年エロ屋に関わっている自分の日常のあれこれや戯言を綴っています☆

その昔、派遣型オナクラのお客様

今から約20年前、やっとオナクラという業種が浸透しつつあった。そのほとんどは今と違い店舗型であったが正規のオナクラ店は珍しく、それ以外のほとんどは求人広告の釣りだった。偽物である。
実際に面接に行くとそれは存在せずヘルス店であるのは当たり前。今でもこの手の求人はあるので御用心。
当時正規の店舗型のオナクラといえば池袋にあるN店ぐらいだったと記憶している。このお店は今でも営業しており、数年前まで桜町で営業していたC店の本店である。私も大変お世話になった。
私のエロ屋人生は都内のオナクラ店での勤務が最も長かったが、やはり許可店ではなかった。
今回はそこで働く少し前にご縁を持ったお店のお話である。
今ではむしろ主流となった派遣型はその頃は逆に珍しく、私は安易に派遣型なら許可店だろうと思い面接に行ったのだが、やはりそこも違った。
でも私にとって重視していた事はソフトサービスであり、許可店とか無許可とかそれは大きな問題ではなかった。
風俗業界とはそういうものだという考えを持っていた人は多かったのではないかと思う。今思えば信じられない。

そのお店の待機場所はごく普通のアパートであった。2LDKのアパートにたくさんの女の子が常に待機していた。
リストカットだらけの女の子や話好きな子、一言も話したくない子、もう随分と家には帰らずここで過ごしている子、当たり前のように本番で稼ぐ子、ホストに貢いでいる子などなど様々な事情を抱えた女の子達がいた。みんなその日のお金の為にそこにいた。
お金を取られたり私物が無くなるのも自己責任。
今ではプライバシーを配慮したり個室待機は当たり前のようにあるが、この頃はかなり珍しかった。
待機場所の条件が悪いとか良いとかそんなものは訳ありの私達にとっては二の次、三の次であったし、これまた風俗とはそういうものだと思っていたので待機室で起こるトラブルは特に気にならなかった。
例えば学生時代。個室の席が欲しいとか思わなかった、あの人がどうだからどうとかそういう事は当たり前にあるのがクラスである、のようなあの頃の感覚に似ていた気がする。どうあって欲しいという発想すら浮かばないのだ。ここは風俗店なのだから。
何よりハンドサービス以外はできる範囲で良い、できるなら何でもして良いというのは負担がなかった。ハンドサービスさえできれば良いということだけが私にとって大切な条件だったのだ。

派遣先は近くで提携していたレンタルルームが主で、そこには皆自転車で向かう。アパートの下に何台か自転車が置いてあった。もしくは電車で指定された場所まで向かった。
駅で待ち合わせしてお客さんの車で移動する事もある。当然移動時間は給料は発生しないので、取り分を考えたら決して稼ぎは良くなかった。
それもあってか裏引きして稼ぐ子は珍しくなかった。
わざと遠回りしてプレイ時間まで伸ばしたりするお客さんも多い。
この頃私は本業の仕事が忙しかった事もあり、少し給料のプラスになれば良いという気持ちで働いていたものの効率が悪すぎた為長くは続かなかった。
ということで短い間ではあったが思い出深い2人のお客さんについて書こうと思う。




⭐︎ケースその1⭐︎
ある日「黒髪で素朴で万引きしなそうで、中学生みたいな女の子」と言う希望が入り、スタッフに呼ばれ派遣される事になった。当時の私は今より更に地味な顔で田舎っぽくそのせいかかなり年下に見られていた。芋であった。
それよりもこの「万引きしなそうな」というパワーワードはお客さんにとって必須だった。
派遣先は個人経営らしきコンビニ店の裏口で、人通りが少なくお客さんはあまり入らなそうなお店だった。
裏口をノックするとあいさつもなくコンビニの店長らしき40代ぐらいの男性が、即座に私に万引きをするように命じた。
え?なんですと?イメージプレイ?
今なら断るが、店内に誰もいない事を確認すると私は言われるがままに取り敢えずガムをポケットに入れた。言われたからと言えとても気分が悪い。風俗嬢である私でさえ母に申し訳ない気持ちになった。
「見てたぞ!こっちへ来い!」と店長に手を掴まれバックヤードに連れて行かれた。
これ、相当なイメージプレイだ…。
店長は何やらクドクドと説教を始める。がしかしお客さんが来る度に接客を終えては戻ってくる、終えては戻ってくる店長の姿は、なんともオートマチックだった。気のせいかだんだんとスボンの下がムクムクとしてきている。
「中学生だよね?学校に知られたくなかったらわかってるよね?」このセリフを言うと同時に開けたチャックからチンポコが跳ね出た。
「え…あ…はい…すみません…わわわかりました…」私は怯えながら(フリ)初めて触ります風にちんちんを触り始めた。きっと裏筋をなでなでしたり亀頭を両手で包んではならぬのだ。ちょっと汚いものでも触るかのように、ぎこちなくただ上下に動かすのが良かろうもん。そして目線は恥ずかしそうに斜め下だ。
「触るのも見るのも初めてだろう。教えてやるぞ。うまくできたら学校にも親にも黙っていてやるからな」
何と汚い取引だろうか。
お客さんが来る度に店長は慌ててチャックを上げるのだが、皮を挟む事を恐れたのかついにそのままエプロンで隠して表へ出て行くようになった。
この店長は接客とプレイを行き来する事で興奮が高まるらしく、何往復かした後についに興奮は最高潮に達し、足をガクガクさせながら精子をぶちまけた。
「あ〜〜〜〜〜(八部音符)」
「……………」
「よし、そこで手洗ったら帰っていいぞ。この事は誰にも言うんじゃないぞ。言ったら万引きの事学校に言うからな!」と言い料金を支払うとちんちんを納めてお店に戻って行った。
その後も何度か利用してくれたが、店長とはいつもこのプレイがお決まりだった。


⭐︎ケース2⭐︎
このお客様はとても思い出深い。
待ち合わせはいつも都内の下町の駅だった。迎えに来たのは50代ぐらいの女性であった。
祖母の三面鏡の引き出しに入っていたおしろい粉のような匂いがして、それは私にとって祖母が経営していたスナックの匂いだった。
整った身嗜みではあったがオキシドールで傷んだような髪と光沢はないが派手なマニュキア。直感で水商売がその筋の女性だと思った。
到着したのは大きめの一軒家。
年代にしては当時珍しかったと思われる出窓。松の木が何本か植えてあり引き戸玄関を開けるとすぐに兜の置物、それに似合っていない掛け軸、床には見てくれだけ偉そうな壺が直に並べてあった。
リビングには本革のソファーと重そうなドッシリとしたテーブルがあり、壁には家紋の掛け軸があった。
なるほど…これはおそらくこの筋の人の家…帰りたい。この筋の家はだいたいインテリアが似ている。 
「はい、1時間分ね。あの部屋開けてそこで寝てる男と話してやって。必要だったらアソコもよろしく。勃たないけど。オムツは履かせたままにして。時間になったらノックして」と女性は料金を払うと別の部屋に入っていった。

特に何も考えず引き戸になった部屋を開けると、畳みの上に敷かれた布団に男性が横になっていた。
年齢不詳だったがヨレヨレになった刺青や何本が歯がない事から70歳は過ぎていたと思う。もしくはそう見えていただけかもしれない。残った歯から覗く金歯がキラキラと目立つ。
やはり私のブログには歯がない人がちょくちょく出てくるのであった。なんでや。
虚脱している目。何を言って良いのかわからなかった私は男性の認知能力を知るためにも「社会人になってから曜日感覚がなくなってしまったんですよー。でも私は理数が苦手だったので唯一理数がなかった水曜日は今でも覚えやすいんです」と話しかけた。男性は「ようび?…知らない」と返してくれた。
それどころか自分の状況さえも長らく掴めてはなさそうだった。
そこからは正座したままただの世間話をした。というかポツリポツリと一方的に話した。
それにしてもこの男性はなぜお店を利用したのだろうか?私がなんだか分かっているのか分かっていないのかも不明だった。
でもたぶんこの人の意思では利用していない。そう思った。
男性はたまにモゴモゴと何かを話していたが、何を言っているか聞き取りにくい。
「私は手で性的サービスをするお仕事で来たのですがオムツの中に手を入れて良いですか?」と言い私は勝手に手を入れた。やはり反応はない。
おそらく替えたばかりのオムツ。片付けられた部屋。体も綺麗で爪も綺麗に整えてある。
サイドボードにはいくつかの写真が並べてあった。若かった頃の男性を中心にたくさんの男性達が写った写真。しかし男性が年齢を重ねるごとにその人数も減っている。
そして壁には車椅子に乗ったこの男性と先程の女性が、五稜郭の前で2人だけで撮った写真が飾られてあった。ガイドブックを持っていたので観光だったと思われる。五稜郭だよね…車椅子生活であんなに遠くまで…。時期も最近だ。
この人は大切に愛されている。
私はなぜあの女性に呼ばれたのだろうか。


出勤する度にこの女性は私を利用してくれた。
でも特に話はしなかった。おそらく「姐さん」という立場のこの女性はいつも綺麗に着飾っていた。でもきっとどこに行くわけでもない。
傷んだ髪を綺麗に束ねていつも違う色のアイシャドウにマニュキュア。そして俯き気な目線。
姐さんは「最初ごめんね。びっくりさせたでしょう。ただの気分転換だから」それしか言わなかった。
姐さんはあの男性を心底愛している。
女性としての総合的地位は長年誰にも譲っていない。だから彼が男性として求めている事だけが自分に欠けている悔しさを、今さら出すような未発達な女の心なんて持っていない。矛先を他人に向けるようなそんな幼稚な人ではない。
この人は決して男性に愛想を尽かして他人任せにしたのではない。    
「あの、私今月で退店するんです。短い間でしたがありがとうございました」と伝えると「いつ最後?来てよ」と前を向いたまま言ってくれた。
姐さんには少し東北訛りが残っていた。
祖母のスナックで働いていたお姉さんを思い出す。
そのお姉さんは東京から来たお客さんに入れ込み、お店の売り上げを持って行ったまま行方が分からなくなってしまった。
しばらくしてお姉さんの事を知ったのは、もう二度と会えない人という事だけだった。
会えないままのお姉さんに手を合わせられたのは、何年も後の事だった。
 

最後の日駅に着くと姐さんは「ありがとう。これで何か食べてよ」と言って一万円を渡してくれた。断ったが「受け取って」と無表情で言ってくれた。
「あの…」縁起でもない事を言う気なのか?私は?
「いえ…なんでもないです。ありがとうございました」受け取ってお礼を言うと、姐さんは無言で行ってしまった。
姐さんが少しでも淋しくありませんように。
そんな事を思った私の表情は、この業界の者の別れ際として正しくはなかった。この事は今でも悔やんでいる。
姐さんから受け取った一万円はずっと大切に保管している。それは罪滅ぼしではなく縁担ぎなのだ。





さて。約20年が経った今、当時の事を書きながらマズい事に気付いた。
この度口外した事で、コンビニの店長の汚い取引を私は破ってしまった事になる。
そこで私は知り合いの弁護士に「この取引の分が悪いのはどちらだ?」と尋ねてみた。答えは以下である。
まず、勤務中に風俗を利用する事は犯罪ではないが、万引きは犯罪である。
命じられたとは言え、私にはそれを証明するものがない。しかし監視カメラには万引きする様子が映っているかもしれない。
幇助行為の証明や命じられた証拠がないなら、そうなると私はただの万引き犯である。
なのだが映像が残っている可能性は極めて低い上に窃盗は犯罪行為が終わってから7年で時効となる為、問題ないであろう。
という事になったので、今回この事を書いたことは何ら問題はないと思いたい。
仮に学校に密告されたところで「は?誰?その子?」となるだけであろう。
うん、大丈夫だ。



まきまい








次回は退店してからとある日までのある一定の期間の出来事。3回に分けて書きます。
少し重い内容になります。
Twitterからお知らせします(о´∀`о)