☆エロ屋さんの戯言☆

長年エロ屋に関わっている自分の日常のあれこれや戯言を綴っています☆

漢字一文字⭐︎2022

今年もあと数週間となりましたね。
「ドッジ弾平」の続編「ドッジ弾子」の事を考えていたらブログもTwitterも更新していませんでした。なんやかんやで今年最後のブログとなります。
毎年恒例になりました自分なりの今年の漢字一文字とご挨拶を書きたいと思います。


「ドッジ弾平」
90年代にスーパードッジボールの凄まじさを伝えた伝説の逸品。私は当時同人誌まで描き20年の時を経て母に見つかった。と同時に昔の恋人がモデルをしていたゲイ雑誌も見つかった(過去ブログより)
当時の腐女子ぶりについてはブログまるまる一話使って書く予定。ちなみに推しは御堂嵐である。
91年にテレ東でアニメ化されたが、予算の都合なのか作者のこしたてつひろ先生の画力が全く活かせていない仕上がりであった。
主要キャラクターのバックボーンに手を加えた点も個人的には残念である。





今年の漢字一文字。
在籍時代写メ日記に書いたものも含めると
2017年⭐︎異
2018年⭐︎通
2019年⭐︎解
2020年⭐︎志
2021年⭐︎切

昨年も書きましたが、やはり縦読みすると厨二病の呪文のようです。
これは…邪悪な鬼か何かを氣を纏った剣で一網打尽にします、異なる全ての情を超え通じ合わせ呪いを解き放す為には、高い志を持たなければ邪気は切れないの意です、たぶん。


さて今年2022年は「風」です。
上記の並びに風を入れると呪文が一気に「なんちゃって」みたいになりました。属やら系なら何かのカテゴリーに入るっぽいですが風で〆ると安っぽくなりますね。イケメン系とかイケメン属はそれっぽいけどイケメン風はイケメンではなくなるかのように。
家系ラーメンはあのラーメンを想像させますが、家風ラーメンとなると休日のお昼にお家で食べるやつ、インスタントラーメンに自分で炒めた野菜を乗せるサッポロ一番のような。

なぜ風になったかを書きたいと思います。
まず風俗業界を意味する「風」
エロ屋に関わるということ。それは例えそこから縁を切ったとしてもその姿を知る人から求められる事は性的な事、もしくは性以外でもサービス業と言われるサービスの云々の部分に永遠に変わりはないのだと思います(当然皆が皆ではないです)
もちろん対価を頂ければ何の疑問も浮かびません。
性に関しては対価が発生しているかどうかで可否を判断するなどなどお互いが分かりやすくて良いのですが、サービス業だから提供していた部分についてはなかなか理解して貰う事が難しいと感じています。
一言にエロ屋と言ってもAVから買えるもの、アダルトグッズから買えるもの、風俗で買えるものは全てが共通ではないと考えています。
風俗で買えるものは性だけではありません。実際に性だけを買いに行く人ばかりではないと思います。
対価が発生しなければ提供する事はできません。


性産業に関わった私の永遠のイメージと求められる事、読解される事。あくまで一部そういった感想が目立った年でした。それをどう感じ取るかどうかは私次第でしょう。ちなみに悲観的には捉えていません。
この思いはネガティブな意味で書いているわけではなく、事実そうなんだなぁと感じたから書いたまでです。特に深い意味はありません。
なぜお給料が高いかは単にその場で性を売るからだけではなく、その後の未来にこういったことも含まれるということは随分前から理解していました。
以前にも書きましたが、私は私が大切にしてきた歴史の上で起きているという事と捉えています。
エロ屋である事は自身を知って貰う上で大切な事のひとつだとも思っていますし、何よりも自分の人間性は性以外にもあると知っています。
もちろんこれからも性的な内容も含めて綴りたいですし業界に関わった後悔は微塵も感じていません。むしろマイナスな事を探す方が難しいです。
ただその有り難さと難しさを同時に学んだ年という意味で「風」にしました。



よく若い頃にスタッフや先輩やお客様から「この業界は長くやるものじゃないよ」とアドバイスを頂きました。
しかし「長く」とは一体どれぐらいなのかと考える事が多くなりました。
自分の身を通して自分で経験してその答えを知りたいと思います。私の価値観ではまだその「長く」を語れるほど身を置いていません。
ネガティブな事も含め自分で経験して思い知りたいと思います。私が未だにこの業界に関係している理由はそこにあります。
凄い事に業界歴50年や60年の方々もいらっしゃいます。ふへー!エロ屋はどんな時代だったのでしょう。
私の思う「長く」を知っている70代や80代の先輩方といつか膝を突き合わせてお話を伺ってみたいです。どんなお話を聞かせて頂けるのかドキがムネムネしますね。
この業界は長くの果てに幸せや満足を手に入れられる人や、そもそも長くいられる人も一握りだと思うので、そんな先輩方を尊敬しています。ぜひお会いしたいです。



私にしては一時ロン毛だった。

 

*写真は削除






さて「風」の理由がもうひとつ。
私は諸行無常という言葉が好きです。
この世の万物は全て変化していてずっと同じ事はないという意味ですね。
若い時はずっとこのままでいたいとか、何も変わらないでいたいと思う事もありました。外見云々だけではなくて状況や幸せの形についてもです。
好きな人にずっと頼って生きたいとか、若いままでいたいとか。恋愛依存体質でおそらくメンヘラでした。
◯◯さんみたいなお顔になりたい、◯◯さんにみたいなスタイルになりたい。誰々が羨ましい。

しかし風任せに手放すとはなんとも気楽なものだと思うようになりました。それは人様に対しても、執着しない。無理に引き止めず迷わずサヨナラする人間になりました。
寒い冬が明けて温かくなって幸せ〜なんて思っていたのに、また冬が来たら来たで新年を迎えられて幸せ〜なんて思っています。そこに固執しなくたって自分がアンテナを伸ばせば別の幸せが結局あるわけです。
過ぎてみれば変わる事に根拠のない恐怖心を持っていたのが不思議なぐらいに。
ダーウィンの進化論でも記されているように「進化」とは環境に順応していけるものが生き残ること、順応できないものは滅びる。まさに人生そのものその通りだなと思います。いつまでも変わらずにいたら私は不幸だったと思います。
長く業界にいる先輩方も進化をしているのだと思います。決して留まっているわけではなく順応して進化してそこにいられる能力があるのだと思います。
なので謎にデスクがキレイ過ぎる波平さんも進化を繰り返しているから席を置いているのだと思います。

毎日何しているのか不安になる磯野課長のデスク。
窓際族なのかよ。月収80万円らしいです。

 


最近めっきりテレビを観なくなったのですが、先日良い情報を知りました。
巷でよく聞く年代別「なりたい顔ランキング」というもの。若い世代はやはり白石麻衣さんや北川景子さんなどの名が上がりました。
80代はというと…。
男女ともに1位はダントツで「自分の顔」
私感動してしまいました。もはや涙が出たよ。
自分の人生を生きていれば自分を愛せるのですね。という私も自分の顔でけっこうです。涼しいお目元に天然アップノーズ、骨張ったパンパンな丸顔、鼻の下長めでわざとらしい口角、ザ・東アジア顔。それでも良いのです。愛して下さる方々もいるのだから♪
そりゃ羨ましい外見はキリがなく挙げられます。でも私が別の容姿だったら今このブログを読んで下さっている方々とご縁を持てたかは分かりません。今まで出会って来た方々とも。
この辺りの思いは以前書いた「交通事故で顔面手術した話」の内容とも重なりますね♪


年齢を重ねて、循環するものは腐らないという事を知りました。綺麗な川も流れが滞らないから綺麗。たくさん食べて良いうんこ出す事も美しい。
血液も人も自然もこの世の万物は循環しています。与えられた愛情を誰かに与える事も循環。いつまでもそこに固執しなければ美しくいられる。
極端に虚無主義という訳ではありませんが、そこに目標なんてなくて良いよ風任せでええやん、風が吹くように水が流れるように自然の摂理のように生きていきたいと思うようになりました。巡っていれば腐らないものだなぁと。

私も皆いつか亡くなる日がきます。いつまでも何かに固執したり若い容姿や体力のピークのままではこの世から離れ難くなってしまうでしょう。
外見が老いる事も自分で何かできなくなる事も「生」を手放す為には必要な事だと思っています。
「老い」とは生を全うしてこの世におさらばする為に大切な行程なんだなと感じるようになりました。
決してネガティブな意味ではなくて。 

だからこそ「老い」という過程を体感する事もなく準備ができないままで亡くなられた方々に対しては掛ける言葉がありません。若い世代が犠牲になるなんて残念で仕方ありませんし、じゃあだからと言って長年生きてきた人が不本意な死を迎える事も残念で仕方ありません。
死について考えるとか巷でいう終活なんて縁起が悪いと言う意見もあると思いますが、終活や死生観を持つということは、後悔なく自分も大切な人ともさよならする為に私はとても大切な事だと思っています。って前にも書きましたが(社長さんのお墓参りのお話)
突然のお別れなんて本当にごめんですからね。
しかしその日が来る日までに歯と筋肉だけは維持しておきたい所存でございます。
とは言え人生ではまた若輩者ですし健康であるから言える私の考えですから、30年後も同じ事が言えるかは定かではありません笑
この先も同じ事が言えるような人生にしたいものです。
兎にも角にも私がこんな考えを持っているのは、私の「今」を評価してくれたり大切にしてくれる人達がいるからですね♪



さてさて来年はどんな年にしたいかしら。
特に目標はないです。風任せです。
目標ではなくて「したいなぁ」程度の事はあります。
⭐︎食いしん坊なので歯を長持ちさせるために下奥歯の銀歯をセラミックにする
⭐︎官能小説を書く
⭐︎そしてやはりいつ性の現場にお呼びたて頂いても失礼ではない程度の心身でいたい


今年も私の垂れ流しブログやツイートにお付き合い下さりありがとうございました。
皆様と共に良い新年を迎えられますように♪
パワー!!


まきまい






住職さんはいつも大人で冷静で余裕のよっちゃん。お陰で私のプライドは傷つきましたの、悔しいわ。
見たい猛者だけ見ていけコノヤロー!

 

*写真は削除









次回は毎年恒例となりましたTwitterから新年の音声ご挨拶をお送りいたします。たぶん。



入院のおもひでぽろぽろ⭐︎その2

面会謝絶で患者同士の交流はなかった。
これが自分にどういった影響があったのかは分からないが特に問題はなかった。もちろん他の患者とコミュニケーションが取れたらまた違った思い出ができていたとは思う。でも考え様によっては皆統一された環境でそれはそれで悪くはなかったのかなと、そうポジティブに考えよう。
もしかしたら看護師も見舞い人に何やら言われる事もなく業務に集中できる、なんて事もあったのかもしれない。

となると患者の世界は看護師と自分だけの世界になり、私はこの世界観の難しさを思い知った。
エロ屋の私は思う。アダルト業界の影響なのか看護師のイメージに邪な気持ちを持つ者もいてさぞかし迷惑であろう。優しい天使でお世話をしてくれる、しかもあくまで女性というイメージ。
看護師はもちろん男女関係なくあくまで看護の師なのだ。医療処置諸々を行うのが役割であり、サービス業ではないのだ。お話相手になって貰おうとか癒して貰おうとかプラスαの業務を期待するのはいかがなものかと私は思う。
そもそもそんなものは必要ない。何より私は看護師とコミュニケーションを取ったところで気持ちが晴れるわけではないと思う人間だ。
話したい人と話したいのであって、誰でも良いから聞いて欲しいという気持ちがそもそも私にはわからない。
さらには余計なコミュニケーションを取る中で看護師に何かマイナスな事を思ってしまったら、自身がしんどくなる。そんな一面をいちいち見つけない為にも必要事項以外の言葉は発さなかったし、その必要も感じなかった。
何よりも余計な態度を取って看護師に嫌われたらこの世界の終わりだと思っていた。
私の世界はとても狭くて、看護師に良い患者だと思われる事でしか自分を好きになれる方法が分からなかった。良い患者ってなんだよ、今思えば勘違いコミュ障というやつだ。

※いつもは否定的な感情はなるべく書かない様に(あくまでなるべくだが)気をつけているつもりですが、今回はそうではないので読み苦しい点もございます。

兎に角どこまで看護師に何をして貰えばよいのかが非常に難しかった。例えば自分で車椅子に乗る度に看護師にお願いして良いものか?テレビのリモコンを落としてしまい取ろうとしたらベットから落ちそうになった。かと言ってわざわざナースコールで呼んで「リモコン取って下さい」って言うのか?そういった微妙なラインが難しかった。
極力黙っていたいと思う割には、カーテン越しに聞こえてくる看護師と患者のちょっとした雑談が羨ましい。「昨日マジでしんどくて。てゆーか総回診苦手」「小川先生は確かにそうだよねぇ」いいなぁ…私もあんな風に自然に話せれば良いのに。
向かい側の女性は長期入院という事もあってか人柄なのかコミュニケーションも上手でいつも自然体で羨ましかった。私はわざとらしい口角を上げた話し方でしかいられない。気味が悪いよ。



⭐︎入院時に渡してくれます。ちょいとビビる。看護の目的と自分のワガママの違いとはなんぞや。しかし自分を取り繕うと逆に看護師に迷惑を掛けます。




私の血管は針を刺すのが難しく若い看護師を毎日困らせた。こうやって看護師は経験を積むのだから刺さらない事の苦痛はなかった。いや、痛いのだが。でもこれを乗り越える事も治療に必要な事だ。
でもただ何も言葉を発さず淡々と作業をされている様子に自分が機械のように感じる。もちろん謝って欲しい訳ではない。今起きている現状を把握したいだけなのだがそれを聞くのも余計な事なのかもしれない。
他の症状で気になる点を質問したが「わからない」との事だった。そしたら納得するしか術はない。
ならばもう笑顔で乗り切って自分に酔うしかない。
この看護師が悪いとかそういった訳ではないのだが、私はこの看護師の対応に毎日感化されては勝手に落ち込んだ。
そして今回の治療で一番学んだ事は、とにかく筋肉を維持する事と強い血管である事が要であるという事だ。体が不自由になるとどこに筋肉が足りないのかよく分かる。
動ける日は例え指一本でも動かしたり、密かに少しでも鍛えて何とか維持するようにした事は良かった点だと思う(そんな事をして余計なエネルギーを消費してはならない場合もあるので何とも言えないが)
血管が脆く点滴に違和感があったり薬剤が漏れたりすると、兎にも角にも闘えないので血管もかなり重要だ。しかし「血管に問題はない」と言われたもののなぜか私の血管はいつも困り続けていた。

そんな中、隣の患者の独り言と柔軟剤らしきにおいが私の中の黒いものを沸々とさせた。
え?いつも柔軟材のにおい強くないかい?それになんでわざわざ不満を声に出すのよ。感化させないでくれと耳栓をした。でも一晩中鳴るナースコールに「みんな大変なんだ」と違う角度でも感化される。
病気によっては大量の薬剤投与をする場合もある。それにより免疫力が低下した患者は無菌室で過ごす。無菌室の患者は静まり返った孤独なのだから、他者の影響を受けるだけ私は恵まれている、そう思った。
独り言の女性は翌日腹水が溜まりベットに寝たまま処置を受けていた。姿は見えないが物音だけでその大変さが伝わってきた。

もし私の何かしらが誰かの症状に触ったらと思うと、物音ひとつ鳴らしてはならないという気持ちになった。今日は寝れそうだという日も、もし自分がいびきでもかいて他の患者の気に障ったらと思うと寝てはいけないと思った。
かと言って別に辛いとかそういう事が言いたい訳でもなく、そういうものなんだと自然に納得する所は何についても私の強みだと思う。言って解決するものとしないものがある事を知っているつもりだ。自分の課題を解決できるのは自分である。
今流れている緩和薬剤は終わったら例え症状があっても4時間空けなければ使えないと説明を受けている。それにも関わらず症状を訴えた所で何になるのだ。
病院に求める事を理解していないとそうなるんだよ、看護師に向かって泣く隣の患者に対して私は冷たい。でもある時は釣られて涙が出る。

おそらく認知症か精神病と思わしきお婆ちゃんが毎日夜中に奇声を発しながら徘徊し「落ち着くお薬出すから戻りましょう」と看護師がなだめていた。
ある日夜中トイレに行った帰りにお婆ちゃんが部屋から出てきて私とすれ違った。目が合い緊張が走った瞬間「あらまぁ…若いのに…大丈夫?」なんて声を掛けられた。「え…あ…大丈夫です!」と答えた。
病室に戻って涙が出てきた。
どうかお婆ちゃんが無事退院できますように。
医師看護師を除いて言葉を交わした唯一の人だった。


⭐︎しかし完食はする。高熱だろうが何だろうが喰らい尽くし医師を驚かせた



書いていて思ったがやはり患者同士でコミュニケーションを取れたらまた違ったのかもしれない。相手の事を知ると許容は広がったりするものだ。ラクな人なんて1人もいないのだから。
前々から私は「なぜ自分だけがこんなめに」という言葉に否定的な人間だ。好きではない。
「自分だけ」そんな事は絶対にない。その言葉がピタリとくるのは世界で一例しかない人のみであると思っている。現場を見て改めてそう思った。
でもこんな事は絶対に他人がわざわざ本人に言ってはならないのは確かだ。これは自分だけに言う言葉。


⭐︎病院の夜は暗くて怖いと思いきや明るかったです。ホッ。こんなにはっきり手が見えるぐらいです。




話は前後するがある日今回の事を話した2人のうちの1人、看護師の知人(伊藤さん)を思い出した。
相変わらず今日も血管と点滴の相性が悪いが看護師いわく「問題なく刺さっている」との事。それでもこの点滴の不具合がなぜだか知りたくて伊藤さんにメールしようかと悩む。伊藤さんに自分から連絡をするのは初めてだったこともあり戸惑う。内容もYahoo知恵袋かよ!のようなものだったもので。
なぜここの看護師に聞かないのか私よ。でも伊藤さんになら聞ける。よくわからん奴だ。
私は私が勝手に定義した信頼関係がないと何も聞けない。伊藤さんとはそれがある。深く詮索する人ではなくフラットなまま気にかけてくれると私は思っているのだ。私達にはどんなに親しくなってもピリッとした空気があり、自分の都合だけで計らわない。
お互いが精神的に自立している居心地の良さと、少しばかりグダッとしたバランスの良さを理解している(と思う)だから連絡しよう。
何より伊藤さんは看護師として絶対にプロフェッショナルな人だと私は勝手に知っている。
現場を見ていない伊藤さんに教えて貰うのは無理があるとは思うが、担当の看護師より聞きたい人なのは間違いない。

伊藤さんは忙しい中丁寧に返信をくれた。
専門的で私の人間性を気遣って選んでくれたシンプルな文章にありがとうしか返せない。
伊藤さんが実際に現場を見たらまた違う答えだったのかもしれないが、そんな事よりも医学的な回答が貰えた事が有り難かった。
ふと私は以前「これだけコミュニケーションのツールが増えた世の中で、それでも身近な人とコミュニケーションを取る必要性とは何か?」を伊藤さんと話した事を思い出した。
今やあらゆるサイトやSNSだの世界中の人達とコミュニケーションを取り、わからない事はなんでも質問できる。でも私はそのようなツールが苦手だ。今までその理由を具体化して説明するのが難しかったのだが、今回の事であの時伊藤さんが言っていた意味を改めて理解した。
そこには極論しかないから。
二極化された答えの中には無限に細分化された答えがあるはずだ。それは相手を知っているから無限に広がる。その人が好きな言葉、嫌いな表現、口調、相手の歴史を知らずしてその答えは出ないのだ。
「若い、若くない」「かわいい、かわいくない」二極化で分けられる業界で昔は随分と翻弄していた。

でも細分化した自分を見つけ出し合う事で、歳を重ねるごとに大切にしてくれる人達が増えていった。すでにその内容は20年前を題材にした過去ブログ「歌舞伎町生態系バランス」に書いたのに今さらテーマ戻るんかい。

ああ…そうか…。私は看護師に自分を知って貰う事も看護師の人間性を知る事もしなかったのだから、そりゃあ答えは二極化しかないのは当然だった。

私が変わらなければずっとずっとこのままだ。
伊藤さんは「担当の看護師に聞いたら?」とは言わなかった。その心遣いに感謝しかない。


⭐︎その昔献血に行った時「この血はいつなくなりますか?」と聞いたら「明日にはもうないよ、毎日毎日足りないんだよ」と教えて貰った事を思い出しました。
私の血液も誰かの助けになっていると嬉しい。
何より私が感謝です。



⭐︎輸血なり手術なりきちんと説明を受けて承諾書を書きました。

手術室までドラマみたいにストレッチャーでガラガラ運ばれるのかな?なんてワクワクしていたら違った。ふっつーに歩いて直接手術室に入り自分でベットに横になりました。
おかげでリアルな手術室が見れました。大きなモニターやら麻酔科医(私はドラマ「風のガーデン中井貴一さんの影響で麻酔科医によく分からない憧れを抱いている)を拝見できて照れました。
承諾書って何事もビビってしまう。



⭐︎風のガーデン 
2008年に放送していたドラマ。家族と絶縁していた主人公の麻酔科医が死を目前に再び家族と接触する。生と死、対極にあるテーマをまとめ上げ一本化するような構成と中井貴一さんが魅力的。
ちなみに子供の障害に病んだ妻が自殺した日に不倫をしていた男です。「北の国から」の倉本聰の作品なので音楽と風景も素晴らしや。ロケ地は富良野







ある日の夜、床にテレビのリモコンを落としたまま拾えずうつ伏せになっていた。
夜勤のベテランらしき看護師が挨拶に来た。「夜勤に入ります中村です」初めて会う看護師さんだ…「よろしくお願いします」とりあえずの笑顔で挨拶をした。「…浅井さん言ってよ〜」床に落ちてあるリモコンを拾って渡してくれた。
「私もあなたと同じ病気になった事があるのよ」
私は何事も同じ経験をしたという言葉を聞くと身構える。自分の話にすり替えられたりしてつまらない雰囲気になるのではないかと警戒をする。
でも看護師は何も言わなかった。ただその表情で「でも今こんなに元気に働いてるんだよ」と伝えてくれた気がした。
「ん〜と、手元にスマホはある?テレビの位置もオッケー?お水は手元にある?」
手慣れた圧倒的な雰囲気と安心感に私は表情が固まり言葉が出なくなってしまった。
「あ、点滴終わってるね。血液が逆流するのは圧が掛かってるのとバッチリ血管に刺さってるから」
ガチャガチャと空になった点滴を交換しながら教えてくれた。
⭐︎こういう状態。看護師は忙しいので点滴が終わるタイミングで必ず来れるわけではありません。点滴が終わったら自分でナースコールをしないとこうなります。なる度にいつもビビっていました。血の色がリアルなので加工しました。



⭐︎水分をとって良いかはここで判断




「点滴長いと疲れるでしょ?この薬とこの薬は一緒に流せないからこうやって別々になるんだよ。だから時間が掛かるの。かと言って早く薬剤を入れると負担がかかって血管が痛くなることもあるし、薬剤と体温の差でも冷たかったり痛くなるよ」
伊藤さんも言ってたな…看護師は点滴の勢いを緩めてくれた。
「症状苦しいでしょ?4時間空けなきゃいけないから我慢するしかないと思った?」
「あ…はい」
「使える薬剤があるかもしれない。辛い時は聞いて。ちゃんと繋いで先生に相談するのが私達の役割だから。夜勤の先生に聞いてみるよ」

やはり自分が間違っていたと思った。
この人達は皆国家試験を受けて現場を経験しているプロフェッショナルなんだ。
私が変わらなければ何も知る事はできない。快適な入院生活なんて有り得ない。
私は子供の頃、納得ができないと何もできない子供で幼稚園の先生をよく困らせていた。騒ぐわけでも不満を言う訳でもなかったが、集団で絵を描くとか何か作る事に理解ができないとシレッと脱走をしていた。しかし集中をすると一歩も動けなくなった。遠足も楽しみではなく、どこにどれぐらい時間が掛かって何をするのかが明確ではないと不安だった。
大人になってデートをしても予期せぬ事やサプライズに対して喜んだふりをするだけで自己満足としか捉えられなかった。今でもセックスすると決まっている日しかしたくない人間だ。イチャイチャの延長にあるものだとは思えない。だからあらかじめ日時が決まっている性のパートナーとの方が気楽なのだ。私という人間は恋人や妻として本当にお薦めできない。ちなみに愛人としては非常に推せる。かなり優秀だ。
動物はお腹が空いたら狩りをするのに、なぜ人間の社会は3食でだいたいの時間も決められているのだ。自分のタイミングで必要な回数をいただきたい。そんな私は633制度に疑問を持ちつつも、落第制度があったら間違いなく落第するタイプだ。


つまるところ私は社会に適応できない者である。
フリだけでよく会社勤めができているなと不思議に思う。
厄介な人間ではあるがでもそれが自分の気質なんだと知ってからは快適だった。何に適性があって不適合なのかを知って行動すれば良い。大人は自分で選択できるのだ。大人とは気楽だ。自分でものを言い、伝えて調べてコミュニケーションを取る事で大体の事は解決する。解決しない事は諦めて自分で自分の機嫌を取れば良い。それが許される環境、有難い。
そんな事はとっくに知っていたはずなのに何を振り出しに戻っていたのだろう。
こんな短い時期で今までの事をフイにしてしまうなんて私なんなん?であった。
あの時の看護師さん、伊藤さんありがとう。




まきまい




おそらく次回で最後かしら。
看護師から学んだエロ屋として役立てたい事などなど、です。内容よりもエロ写真を期待しとる猛者、ちょいと待っとれドスケベが!!
Twitterからお知らせします⭐︎








その昔、派遣型オナクラのお客様

今から約20年前、やっとオナクラという業種が浸透しつつあった。そのほとんどは今と違い店舗型であったが正規のオナクラ店は珍しく、それ以外のほとんどは求人広告の釣りだった。偽物である。
実際に面接に行くとそれは存在せずヘルス店であるのは当たり前。今でもこの手の求人はあるので御用心。
当時正規の店舗型のオナクラといえば池袋にあるN店ぐらいだったと記憶している。このお店は今でも営業しており、数年前まで桜町で営業していたC店の本店である。私も大変お世話になった。
私のエロ屋人生は都内のオナクラ店での勤務が最も長かったが、やはり許可店ではなかった。
今回はそこで働く少し前にご縁を持ったお店のお話である。
今ではむしろ主流となった派遣型はその頃は逆に珍しく、私は安易に派遣型なら許可店だろうと思い面接に行ったのだが、やはりそこも違った。
でも私にとって重視していた事はソフトサービスであり、許可店とか無許可とかそれは大きな問題ではなかった。
風俗業界とはそういうものだという考えを持っていた人は多かったのではないかと思う。今思えば信じられない。

そのお店の待機場所はごく普通のアパートであった。2LDKのアパートにたくさんの女の子が常に待機していた。
リストカットだらけの女の子や話好きな子、一言も話したくない子、もう随分と家には帰らずここで過ごしている子、当たり前のように本番で稼ぐ子、ホストに貢いでいる子などなど様々な事情を抱えた女の子達がいた。みんなその日のお金の為にそこにいた。
お金を取られたり私物が無くなるのも自己責任。
今ではプライバシーを配慮したり個室待機は当たり前のようにあるが、この頃はかなり珍しかった。
待機場所の条件が悪いとか良いとかそんなものは訳ありの私達にとっては二の次、三の次であったし、これまた風俗とはそういうものだと思っていたので待機室で起こるトラブルは特に気にならなかった。
例えば学生時代。個室の席が欲しいとか思わなかった、あの人がどうだからどうとかそういう事は当たり前にあるのがクラスである、のようなあの頃の感覚に似ていた気がする。どうあって欲しいという発想すら浮かばないのだ。ここは風俗店なのだから。
何よりハンドサービス以外はできる範囲で良い、できるなら何でもして良いというのは負担がなかった。ハンドサービスさえできれば良いということだけが私にとって大切な条件だったのだ。

派遣先は近くで提携していたレンタルルームが主で、そこには皆自転車で向かう。アパートの下に何台か自転車が置いてあった。もしくは電車で指定された場所まで向かった。
駅で待ち合わせしてお客さんの車で移動する事もある。当然移動時間は給料は発生しないので、取り分を考えたら決して稼ぎは良くなかった。
それもあってか裏引きして稼ぐ子は珍しくなかった。
わざと遠回りしてプレイ時間まで伸ばしたりするお客さんも多い。
この頃私は本業の仕事が忙しかった事もあり、少し給料のプラスになれば良いという気持ちで働いていたものの効率が悪すぎた為長くは続かなかった。
ということで短い間ではあったが思い出深い2人のお客さんについて書こうと思う。




⭐︎ケースその1⭐︎
ある日「黒髪で素朴で万引きしなそうで、中学生みたいな女の子」と言う希望が入り、スタッフに呼ばれ派遣される事になった。当時の私は今より更に地味な顔で田舎っぽくそのせいかかなり年下に見られていた。芋であった。
それよりもこの「万引きしなそうな」というパワーワードはお客さんにとって必須だった。
派遣先は個人経営らしきコンビニ店の裏口で、人通りが少なくお客さんはあまり入らなそうなお店だった。
裏口をノックするとあいさつもなくコンビニの店長らしき40代ぐらいの男性が、即座に私に万引きをするように命じた。
え?なんですと?イメージプレイ?
今なら断るが、店内に誰もいない事を確認すると私は言われるがままに取り敢えずガムをポケットに入れた。言われたからと言えとても気分が悪い。風俗嬢である私でさえ母に申し訳ない気持ちになった。
「見てたぞ!こっちへ来い!」と店長に手を掴まれバックヤードに連れて行かれた。
これ、相当なイメージプレイだ…。
店長は何やらクドクドと説教を始める。がしかしお客さんが来る度に接客を終えては戻ってくる、終えては戻ってくる店長の姿は、なんともオートマチックだった。気のせいかだんだんとスボンの下がムクムクとしてきている。
「中学生だよね?学校に知られたくなかったらわかってるよね?」このセリフを言うと同時に開けたチャックからチンポコが跳ね出た。
「え…あ…はい…すみません…わわわかりました…」私は怯えながら(フリ)初めて触ります風にちんちんを触り始めた。きっと裏筋をなでなでしたり亀頭を両手で包んではならぬのだ。ちょっと汚いものでも触るかのように、ぎこちなくただ上下に動かすのが良かろうもん。そして目線は恥ずかしそうに斜め下だ。
「触るのも見るのも初めてだろう。教えてやるぞ。うまくできたら学校にも親にも黙っていてやるからな」
何と汚い取引だろうか。
お客さんが来る度に店長は慌ててチャックを上げるのだが、皮を挟む事を恐れたのかついにそのままエプロンで隠して表へ出て行くようになった。
この店長は接客とプレイを行き来する事で興奮が高まるらしく、何往復かした後についに興奮は最高潮に達し、足をガクガクさせながら精子をぶちまけた。
「あ〜〜〜〜〜(八部音符)」
「……………」
「よし、そこで手洗ったら帰っていいぞ。この事は誰にも言うんじゃないぞ。言ったら万引きの事学校に言うからな!」と言い料金を支払うとちんちんを納めてお店に戻って行った。
その後も何度か利用してくれたが、店長とはいつもこのプレイがお決まりだった。


⭐︎ケース2⭐︎
このお客様はとても思い出深い。
待ち合わせはいつも都内の下町の駅だった。迎えに来たのは50代ぐらいの女性であった。
祖母の三面鏡の引き出しに入っていたおしろい粉のような匂いがして、それは私にとって祖母が経営していたスナックの匂いだった。
整った身嗜みではあったがオキシドールで傷んだような髪と光沢はないが派手なマニュキア。直感で水商売がその筋の女性だと思った。
到着したのは大きめの一軒家。
年代にしては当時珍しかったと思われる出窓。松の木が何本か植えてあり引き戸玄関を開けるとすぐに兜の置物、それに似合っていない掛け軸、床には見てくれだけ偉そうな壺が直に並べてあった。
リビングには本革のソファーと重そうなドッシリとしたテーブルがあり、壁には家紋の掛け軸があった。
なるほど…これはおそらくこの筋の人の家…帰りたい。この筋の家はだいたいインテリアが似ている。 
「はい、1時間分ね。あの部屋開けてそこで寝てる男と話してやって。必要だったらアソコもよろしく。勃たないけど。オムツは履かせたままにして。時間になったらノックして」と女性は料金を払うと別の部屋に入っていった。

特に何も考えず引き戸になった部屋を開けると、畳みの上に敷かれた布団に男性が横になっていた。
年齢不詳だったがヨレヨレになった刺青や何本が歯がない事から70歳は過ぎていたと思う。もしくはそう見えていただけかもしれない。残った歯から覗く金歯がキラキラと目立つ。
やはり私のブログには歯がない人がちょくちょく出てくるのであった。なんでや。
虚脱している目。何を言って良いのかわからなかった私は男性の認知能力を知るためにも「社会人になってから曜日感覚がなくなってしまったんですよー。でも私は理数が苦手だったので唯一理数がなかった水曜日は今でも覚えやすいんです」と話しかけた。男性は「ようび?…知らない」と返してくれた。
それどころか自分の状況さえも長らく掴めてはなさそうだった。
そこからは正座したままただの世間話をした。というかポツリポツリと一方的に話した。
それにしてもこの男性はなぜお店を利用したのだろうか?私がなんだか分かっているのか分かっていないのかも不明だった。
でもたぶんこの人の意思では利用していない。そう思った。
男性はたまにモゴモゴと何かを話していたが、何を言っているか聞き取りにくい。
「私は手で性的サービスをするお仕事で来たのですがオムツの中に手を入れて良いですか?」と言い私は勝手に手を入れた。やはり反応はない。
おそらく替えたばかりのオムツ。片付けられた部屋。体も綺麗で爪も綺麗に整えてある。
サイドボードにはいくつかの写真が並べてあった。若かった頃の男性を中心にたくさんの男性達が写った写真。しかし男性が年齢を重ねるごとにその人数も減っている。
そして壁には車椅子に乗ったこの男性と先程の女性が、五稜郭の前で2人だけで撮った写真が飾られてあった。ガイドブックを持っていたので観光だったと思われる。五稜郭だよね…車椅子生活であんなに遠くまで…。時期も最近だ。
この人は大切に愛されている。
私はなぜあの女性に呼ばれたのだろうか。


出勤する度にこの女性は私を利用してくれた。
でも特に話はしなかった。おそらく「姐さん」という立場のこの女性はいつも綺麗に着飾っていた。でもきっとどこに行くわけでもない。
傷んだ髪を綺麗に束ねていつも違う色のアイシャドウにマニュキュア。そして俯き気な目線。
姐さんは「最初ごめんね。びっくりさせたでしょう。ただの気分転換だから」それしか言わなかった。
姐さんはあの男性を心底愛している。
女性としての総合的地位は長年誰にも譲っていない。だから彼が男性として求めている事だけが自分に欠けている悔しさを、今さら出すような未発達な女の心なんて持っていない。矛先を他人に向けるようなそんな幼稚な人ではない。
この人は決して男性に愛想を尽かして他人任せにしたのではない。    
「あの、私今月で退店するんです。短い間でしたがありがとうございました」と伝えると「いつ最後?来てよ」と前を向いたまま言ってくれた。
姐さんには少し東北訛りが残っていた。
祖母のスナックで働いていたお姉さんを思い出す。
そのお姉さんは東京から来たお客さんに入れ込み、お店の売り上げを持って行ったまま行方が分からなくなってしまった。
しばらくしてお姉さんの事を知ったのは、もう二度と会えない人という事だけだった。
会えないままのお姉さんに手を合わせられたのは、何年も後の事だった。
 

最後の日駅に着くと姐さんは「ありがとう。これで何か食べてよ」と言って一万円を渡してくれた。断ったが「受け取って」と無表情で言ってくれた。
「あの…」縁起でもない事を言う気なのか?私は?
「いえ…なんでもないです。ありがとうございました」受け取ってお礼を言うと、姐さんは無言で行ってしまった。
姐さんが少しでも淋しくありませんように。
そんな事を思った私の表情は、この業界の者の別れ際として正しくはなかった。この事は今でも悔やんでいる。
姐さんから受け取った一万円はずっと大切に保管している。それは罪滅ぼしではなく縁担ぎなのだ。





さて。約20年が経った今、当時の事を書きながらマズい事に気付いた。
この度口外した事で、コンビニの店長の汚い取引を私は破ってしまった事になる。
そこで私は知り合いの弁護士に「この取引の分が悪いのはどちらだ?」と尋ねてみた。答えは以下である。
まず、勤務中に風俗を利用する事は犯罪ではないが、万引きは犯罪である。
命じられたとは言え、私にはそれを証明するものがない。しかし監視カメラには万引きする様子が映っているかもしれない。
幇助行為の証明や命じられた証拠がないなら、そうなると私はただの万引き犯である。
なのだが映像が残っている可能性は極めて低い上に窃盗は犯罪行為が終わってから7年で時効となる為、問題ないであろう。
という事になったので、今回この事を書いたことは何ら問題はないと思いたい。
仮に学校に密告されたところで「は?誰?その子?」となるだけであろう。
うん、大丈夫だ。



まきまい








次回は退店してからとある日までのある一定の期間の出来事。3回に分けて書きます。
少し重い内容になります。
Twitterからお知らせします(о´∀`о)


ちんちんの健康を考える⭐︎後編

ちんちんの健康を考える、という思いの後編です。
エロ屋はお客様に悦びを与えるエンターテイメントだと思っています。
日常では味わえない快楽や技術や心と性のおもてなしなどを提供する場であると思います。
なので前回書いた快楽物質を促すお手伝いをするのもお役目であり、それを求められた時に提供できる場でありたいという思いは変わりません。
ただ非日常であるから堂々と提供できるという思いが正直なところあります。それを常習的に経験してもらいたいかと言ったら複雑です。
そんな思いから私は在籍時代は技術や快楽物質に頼らないプレイを提供する事を心掛けていました。
しかしルールに沿いながら官能的で飽きないプレイに特化したサービスを提供し続けられるエロ屋さんを、私は心底尊敬しています。私にはそれができないからこそ尊敬しています。
今回の内容は決してエロ屋さんのサービスを否定する内容ではないのでご了承下さいませ。




膣内射精障害とポルノ中毒を治すには。
まず…他力本願を捨てましょう、と思うのです。
ちんちんを他人任せにするのは辞めましょうです。
例えばエロ屋は射精するまでのサービスに尽くすのが仕事ではありますが、それを最大限に受け止めれる体を作るのは御本人の課題です。
ポルノ中毒や射精障害を根本的に治す事ができるのは持ち主しかいません。私達に出来る事はそれに至るまでのサービスと知識や愛情の提供です。
何事もそうだと思います。
例えば素材から丁寧に出汁を取った料理を作る飲食店。料理の知識や技術を提供するのは料理人の課題ですが、それをおいしいと思える心身や味覚があるかどうかはお客さん次第です。
化学調味料に慣れた脳では味わえませんし、体調が整った状態でなくてはおいしく頂けません。
フルマラソンを完走したいとして、いくら良い指導者に恵まれたとしても完走できる自分を作るのは本人です。指導者はあくまで正しい指導や愛情などなどを提供する側です。
良い結果とはお互いがお互いの課題に真剣に向き合った先にあるものだと私は捉えています。
正直なところ、以前の私は現場で準備ができていない(どう考えてもあきらかな射精障害)の方にはもう仕方ないと割り切っていました。本音を書くとそのような方に不満を言われるとイライラしていました。そちらの問題だよ!と。私は私の課題に尽くせばそれで良いと思っていました。
でも今はもしお相手が治したいと真剣に向き合ってくれるなら、それに応えられるだけの経験と愛情を提供できるエロ屋でありたいと思っています。
単に快楽を提供するだけではなく、それを最大限に楽しめる身体を作れるように勉強する事も私の役割だと思っています。それ故に偉そうな事を言う一面もありますが、私はちんちんの健康を願っています。


ポルノ中毒と射精障害を完治させる事はとてもとても難しいです。とても根気がいる事です。多くの人は挫折します。
まずは兎にも角にもアダルト断ちをする事が大切だと思います。習慣的にアダルトサイトを見る事も、間違った方法でなんとなくオナニーをする癖を取っ払うのです。まずこの時点で実にめちゃくちゃ難しいと思います。昔と違って遥かにアダルトが身近でありお手軽ですし、なおかつ快楽物質の枯渇と習慣と戦うわけですからこれはもう断薬やら断酒と同じレベルかもしれません。
もちろん前回述べたアドレナリンやドーパミンも上手に付き合えば人生を豊かに幸せにしてくれます。
それらを含めホルモンは100種類以上ともといわれていますが優先させる順番を間違うと不幸になると精神科医師は述べています。
アドレナリンが分泌される地位や名誉、お金に固執した人は必ずしも幸せではない、どこか哀しげに見える理由はこれにあるのかもしれません。そして報酬系の「期待」に支配されている人も。
幸せの価値観は人それぞれですが、心と体の安定の幸福のセロトニンと繋がりと愛の幸福(人間関係やコミニティーの所属の幸福)のオキシトシン、これらを分泌させることは幸せになる上で欠かせないと言われています。
もちろんこの2つが完璧な訳ではありませんが、これに着目した生活をすると次第にアドレナリンに枯渇した「慣れ」から解放されていくのではないでしょうか。それはつまりシンプルにまわりの人や環境を大切にするということなのかもしれません。
欲しがり屋さんが多い今の世ではとても大切なことですね。


こちらの本を参考にしました。




そして膣内射精障害。
男性だけではなく女性の「イケない快楽を得られない問題」も近年増加傾向にあります。理由の一つは男性と同じです。女性用アダルトグッズのレベルも凄まじい昨今、女性もオナニー以外でイケないと悩む声をよく聞きます。
あくまで一部のデータですが元々イケる人は約6割でその中でも毎回イッちゃうわ!の人は3割、演技をする人は全体の8割となっております。イッたふりをする為に膣収縮させるなんて朝飯まえだせ!という人もたくさんいますし、男性が思っている以上に女性は実際にはイっていないのが現実だと思います。
そもそも女性はイク事を重視していない人が多いので問題はないかと思いますし、イケるのが当たり前でもないのですが間違ったオナニーやアダルトグッズを使用し過ぎるのは危険ですね。
キレイな女性ばかり出演しているAVの内容やリアクションを見て男性が実際の女性で興奮しなくなっているのと同時に、女性も男優さんと比べて「??」となっている事もあるでしょう。でもAVを基準にしてはならないのです。
AVはプロの作品です。ドラマは役者さんが演技で泣いたり怒ったりしている事を理解しながら見ているのに、AVだと判別できなくなってしまう人が多いのは、やはり前回書いたチンパンジー論が原因なのでしょうか。
チンパンジー論はあれだな、ヘルスあるあるのあれもそうだわ。後先考えずに「先っぽだけ入れていい?」って言う人。そもそもどこまでが先っぽのつもりで言っているのかわからんです。


ちなみに私は毎回イッてしまうデータの3割の1人です。だからなんやねんですがそこに悩む人へのヒントがあるのではないかと思い、この度考えてみました。
まずやはり自然とポルノ断ちをしています。というか運良く?実戦以外で興味がないので見ません。
頭が仕事脳になってしまいますし、観てもプロのアクションビデオだと思って観ます。オナニーもしません。あと以前書いた快楽の不思議な回路が影響しているのかもしれません。
男女共にオナニーをした方が良いと言う説も正しいと思いますが、正しくイキたいのであればそれはあくまで正しいオナニーの仕方でするならだと思います。
間違った方法でしかイケない人は、とにかくそれを辞めるしかありません。正しい方法でイケないならそこでオナニーをやめるのだ。イキたいのに!?そうだ、そこでストップだ。自らを追い込むのだ!文章で書いたら簡単そうですが、身に覚えがある人にとってはマジかよ!ってぐらい難しいと思います。膝を曲げている体制でイケたらシメたものですぞ。
男性は入れて射精する側なので女性よりなんとも大変な道のりですよね。
さらには男性はメンズヘルスケアトレーニンカップというものを床に固定して正常位の格好でイケるようになったら問題ないと思います。

いろんな種類のがある。泌尿器科も推奨しています。えげつないオナホから改善オナホまで世に繰り出すテンガ。飴と鞭。




かーなーり多いです。本当に本当に危険です。膣はちんちんを強く圧迫するものではありませんし質感も別物です。





決まった体制でしかイケない人(例えば足ピン)はイク時に使う筋肉が間違って習慣付いていると思われます。使うのは足を伸ばして硬直させる筋肉ではありません。正しくは女性なら膣周り、男女共に骨盤底筋を使ってイクのだと思います。なのでそこを鍛えれば近道ではないかしら。
たくさんの男性の間違ったオナニーを見てきましたが、男性は足ピンをするとPC筋(骨盤底筋)BC筋(球海綿体筋肉)に力が入りやすいのだと思います(ちなみに睾丸が持ち上がる為イキやすくなるのもあると思います)つまりPC筋を鍛える事は凄く大切で、併せて足ピン法を辞めれば少しずつ改善されるのではないでしょうか。

PC筋とはイク時や勃起維持(血液を送り込むポンプのような役割、維持する役割)に必要な筋肉です。
開脚スクワットやお尻の穴を締めたり緩めたり、おしっこを止める時の筋肉を使ったりで鍛えられると思いますが、正しくは世界の皆さんに丸投げします。
例えばこれ良さそげ!




そしてやはり食も大切だと思います。
血圧や内臓など体に気を遣っている人は多いと思いますが、ちんちんを気遣った生活をしている人は少ないように思えます。
AV男優さんとお話させて頂く機会があったのですが、みなさんとても努力してちんちんを気遣っていました。筋トレはもちろんの事、ビタミンや亜鉛を食事から摂取したり、ホルモンの材料をつくる妨げになってしまうコレチゾール(ストレス)を作らない、などなど。その努力がどんなプレイにも対応できるちんちんを作っています。
動脈硬化、高血圧、糖尿病などの病気はちんちんに百害あって一利なしなので、それらに気をつける事もとても大切だと思います。
ちんちんを蔑ろにした生活はいつちんちんがストライキを起こすかも分かりません。その時にどうかちんちんに耳を傾けて欲しいと私は思うのです。
「ごめんよ。何が足りなかったかい?何をして欲しかったのだい?」
ちんちん言い過ぎました。


ちんちんとの会話は大切なんや。ちんちんの血管は細いので影響を受けやすいのだ。




最後に私がなぜこれに拘るのかを書きたいと思います。
今回は前編で書いた通り心因性や精神性については触れず、ポルノ中毒と間違ったオナニーの仕方に焦点を当てました。原因は十人十色ですが私は何事も習慣が人を作ると思っています。
習慣を変える事はとても難しい事ですが、きっと、ちんちんは応えてくれると思います。とても険しい道のりではありますが、完治した人達を何人も知っています。 
少子化対策について国が何をしても、ポルノ中毒と膣内射精障害について対策をしなければ根本的な解決には至らないと思っています。
そして前編でも触れた通り、今の世は心身の健康など考えていない搾取だけを考えたもので溢れています。
AVは立派な性文化だと私は思っていますが、別の側面で見れば判断の付かない女性が搾取されるとの事で国会では新法案が話し合われていますね。がしかし搾取されているのは本当に出演者側だけでしょうか。
無法地帯のネットの海で観る側はいかがでしょう。
搾取社会に侵された脳の報酬系は身を滅ぼしもっと良いものをもっと優れたものを!とキリがありません。
アダルトに限らず何事も求める側にもそれ相応の心身とお作法を身に付けなければ、世界は破滅しかないと私は危機感を感じています。搾取されるのはプレイ中の精子だけで良いの。

そしてプライベートの自分について。そこにも理由があります。
幸せの価値観は人それぞれですし、今回私が危機感を感じた障害は誰に迷惑をかける事ではないかもしれません。でもパートナーを傷付ける事にもなり兼ねません。自分自身も性を楽しめなくなります。
私はいつ性のパートナーにお呼び立て頂いても最大限に活かせる心身でありたいと考えています。それ故に射精障害、、じゃなくて女性ならなんて言うんだ?絶頂障害?え?感じる障害?なんか違うな、、にならない生活を心掛けてきました。
私は四捨五入すると40歳です。年上の方々に対する敬意と若い世代の未来を暗くしない為、そして何より自分自身がこの年齢に対して卑下はしていません。エロ屋である事も卑下していません。しかし一般的な価値観においてはそうとも言えません。
それでも歴代の性のパートナーの方々は皆、礼節を持って大切に接してくれました。心身が整った状態でお互いが気持ち良くなれるように接してくれます。
ならば私は何を持って喜んで頂ければ良いのでしょうか。私を選んでくれた性のパートナーの愛情に対してきちんと応えたいと思うのです。
その為には礼節を弁える、エロ屋で身に付けたものの提供はもちろん、責められたら気持ち良くなるわイクわちんちんおねだりするわ平伏すわエロ女になるわでしっかりと相手に喜んで貰える心身を作る。という事はとても大切です。それが遊び人なりの流儀だと思っています。
あ、私がプライベートではMプレイが主なのが垣間見えますね。

最初に書いた通り他人で気持ち良くなる事を考える前にその心身をまずは自分が作る。お互いがきちんと準備してきた心身で幸せを分け与える事でまたお互いが幸せになれる。それが私が性行為に求めている事です。
性欲を満たしたいだけや興味本位、その場の流れや雰囲気、飲みに行ったついでのようなインスタントなファストセックスが私は好きではありません。
私にとって大切なのはあくまで上記のような心身の幸福、繋がりの幸福であり、性の幸福は後から自然と付いてくるものだと思っています。だから極端な話、性はなくても本当は良いぐらいなのです。
お陰様で私は慣れが生じるホルモンに重きを置く必要がない幸せな人生を送っています。その大きなきっかけは随分昔に遡るのですが、それについてはまたいつの日か書きたいと思います。



今回の事は何万人という数の男性と接し、私なりに性の歴史を現場で体験した上で最も伝えたかった事です。他にもたくさんあるのだが。
今回のような考え方はエロ屋さんとしては正しくはないのかもしれません。それでも私のモットーは「性に重きを置き過ぎず貴方(貴女)の心の栄養でありますように」です。
私にできる事は日常に送る些細な性とエロ屋さんの戯言ですが、お力添えになれましたら幸いです。
貴方のちんちんに御多幸がありますように(о´∀`о)


まきまい





と言いながらバックで首絞められて快楽ホルモンが出過ぎた後の姿がこちらです。見たい猛者だけ見ていけコノヤロー!






次回は派遣先がおかしいオナクラで働いた思い出です。
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